田の神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 23:38 UTC 版)
田の神(たのかみ)は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、あるいは、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である[1]。作神、農神、百姓神、野神と呼ばれることもある[1][2]。
注釈
- ^ 古い宇賀の神は中世の都市生活においては福神として祭られたという[3]。
- ^ 島根県には、他地方の田の神の祭日を山の神の祭日とするところがあり、山形県・新潟県の県境地方の村々では「山の神」と呼ばれるのが実は農民の祭る田の神であって、山仕事をする人の神である本来の山の神とは異なるというケースがあるという[3]。
- ^ 苗代田は毎年一定の場所につくられることが多かった。また、播種の時期は特定の草木の開花の時期や雪形(山の残雪のかたち)で決めることが多かった[15]。
- ^ 蛙を田の神の使いとするのは福島県にも例がある[3]。
- ^ 山川出版社『図説 民俗探訪事典』(1983年)に、小野重朗「田の神サマ百体」(1970年)を原図とする石像の縮小図を配した2系統ごとの分布図が転載されている[33]。
出典
- ^ a b c d e f コトバンク「田の神」
- ^ a b c d e f g h i j 『図説 民俗探訪事典』(1983)pp.181-184
- ^ a b c d e f g h i 『民俗学辞典』(1951)「田の神」
- ^ a b c d e f g h i j 直江(1979)pp.194-196
- ^ a b コトバンク「山の神」
- ^ a b c d 湯川 (1999)pp.90-91
- ^ a b c 『民俗の事典』(1972)「あえのこと」p.265
- ^ a b c 『民俗の事典』(1972)「田の神」pp.295-296
- ^ コトバンク「案山子」
- ^ 『民俗の事典』(1972)「かがし」p.160
- ^ a b c d 『民俗の事典』(1972)「屋敷神」pp.296-297
- ^ 『民俗の事典』(1972)「地神」pp.296-297
- ^ a b 『民俗の事典』(1972)「田遊び」pp.333-334
- ^ 『民俗の事典』(1972)「えんぶり」p.335
- ^ 『図説 民俗探訪事典』(1983)p.220
- ^ 『図説 民俗探訪事典』(1983)p.219 写真
- ^ 井之口 (1959)p.124
- ^ 井之口 (1959)p.150
- ^ 『民俗の事典』(1972)「水口祭り」p.153
- ^ a b 『民俗の事典』(1972)「さんばい」pp.156-157
- ^ a b c d 『民俗の事典』(1972)「さなぶり」p.158
- ^ a b c d 『民俗の事典』(1972)「田植え」pp.155-156
- ^ 『民俗の事典』(1972)「大田植え」p.157
- ^ a b c 『民俗の事典』(1972)「早乙女」p.156
- ^ 『民俗の事典』(1972)「田植え飯」p.157
- ^ 『民俗の事典』(1972)「おなり」p.157
- ^ a b c 『民俗の事典』(1972)「七夕」p.255
- ^ a b 『民俗の事典』(1972)「穂かけ」p.160
- ^ a b 『民俗の事典』(1972)「八朔」p.260
- ^ a b c d e 『民俗の事典』(1972)「刈り上げ」p.161
- ^ a b c d 『民俗の事典』(1972)「十日夜」p.264
- ^ 『民俗の事典』(1972)「猪」pp.183-184
- ^ 『図説 民俗探訪事典』(1983)pp.182-183
- ^ a b c d e f g 青山(1979)
- ^ “宮崎県立西都原考古博物館 平成30年度企画展Ⅰ「石が人を創った~石と人の文化史~」ここがみどころ No.1 『現代に息づく心優しい田んぼの神様』” (PDF). 宮崎県立西都原考古博物館. 2024年1月11日閲覧。
- ^ 『民俗の事典』(1972)「村寄合い」p.9
- ^ 青山(1979)pp.160-161
- ^ a b 『民俗の事典』(1972)「稲荷」pp.292-293
- ^ a b c d 直江(1979)pp.196-200
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