済南路
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済南路(さいなんろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の山東省済南市・浜州市一帯に設置された。治所は歴城県で、大元ウルスの行政上は中書省に直属する地域(腹裏/コルン・ウルス)であった。
- ^ 『聖武親征録』「辛未……乃分軍為三道……哈撒児及斡陳那顔・拙赤䚟・薄刹為左軍、沿海破淄・沂等城而還」
- ^ 『元史』巻2太宗本紀,「[八年秋月]詔以真定民戸奉太后湯沐、中原諸州民戸分賜諸王・貴戚・斡魯朶……按赤帯、浜・棣州」
- ^ 『元史』巻107表2宗室世系表
- ^ 『元史』巻58志10地理志1,「済南路、上。唐済州、又改臨淄郡、又改済南郡、又為青州。宋為済南府。金因之。元初改済南路総管府、旧領淄・陵二州。至元二年、淄州割入淄萊路、陵州割入河間路、又割臨邑県隷河間路、長清県入泰安州、禹城県隷曹州、斉河県入徳州、割淄州之鄒平県来属、置総管府。戸六万三千二百八十九、口一十六万四千八百八十五。領司一・県四・州二。州領七県」
- ^ 『元史』巻58志10地理志1,「録事司。県四:歴城、中。倚郭。章丘、上。鄒平、上。唐・宋皆属淄州、至元間来属。済陽、中」
- ^ 『元史』巻58志10地理志1,「州二:棣州、上。唐析滄州之陽信・商河・楽陵・厭次置棣州。宋・金因之。元初浜・棣自為一道、中統三年、改置浜棣路安撫司。至元二年、與浜州倶隷済南路。領四県:厭次、中。倚郭。初立司候司、至元二年、省入本県。商河、中。陽信、中。無棣、下。宋・金属滄州、元初割無棣之半属滄州、半以来属」
- ^ 『元史』巻58志10地理志1,「浜州、中。唐属棣州。周始置浜州。金隷益都。元初以棣州為浜棣路。至元二年、省路為州、隷済南路。領三県:渤海、中。初設司候司、至元二年、省入此県。利津、下。沾化、下」
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