星島家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:58 UTC 版)
(岡山県倉敷市藤戸町、東京都) 曽祖父宜平は嘉永2年(1849年)に児島郡大庄屋となり、文久2年(1861年)には苗字帯刀御免となった。宜平の弟茂八郎は分家を立てた。茂八郎の子寛(ゆたか)は明治33年(1900年)から5年間藤戸村長を務め、その長男昴一も明治44年(1911年)から昭和12年(1937年)まで6期藤戸町長を務めた。祖父啓三郎は、土地所有面積の拡大、更に、備前紡績をはじめとする地元企業への出資、藤戸銀行、星島銀行の創業など、家産の保全拡大に努めた。父謹一郎は大正4年(1915年)から同12年(1923年)まで多額納税者として貴族院議員を務めた。兄の義兵衛は岡山電気軌道などの役員をへて岡山県農工銀行頭取になり、山陽学園理事長・校長などをつとめた実業家。弟の三郎(完雄)は1927年に山手線駒込駅で鉄道自殺した。次弟の四郎兵衛は名古屋鉄道病院院長を務めた。姪や甥(兄の子供)を通じて斎藤喜十郎財閥、嘉納財閥、辰馬本家酒造と姻戚関係にある。 妻 雛子- 山邑太左衛門(櫻正宗当主)の長女 長男 東一 次男 光平 長女 節子
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