当百銭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 10:28 UTC 版)
1866年には、時の権力者興宣大院君が財政難を打開し景福宮再建のための資金を調達することを目的に常平通宝の当百銭(百文銭)を鋳造した。裏面には「戸大當百」とある(「戸」は発行所を表わす)。しかし重量は小平銭の5~6倍に過ぎず、実際には100文では通用しなかったようである。そして財政難を打開するどころか物価上昇、大院君の執権体制の危機といった問題をもたらし、鋳造開始の2年後に当百銭は通用停止・回収されてしまった。
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