合同葬(ごうどうそう)
2000年5月14日に死去された小渕前首相の葬儀。6月8日、東京北の丸公園の日本武道館で自民党と内閣の合同主催で行われた。小渕氏は外相としての長い経歴から諸外国に名前が知られており、合同葬には各国の首脳陣が多数参列した。
米国ではクリントン大統領(当時)が「小渕氏への個人的な気持ちからも、できることは何でもしたい」と、参列した。また、韓国からは「小渕前首相は韓日友好関係を築く上で大きく貢献した」ということで、金大中大統領(当時)が葬儀に参列した。
ASEANからはマレーシアのマハティール首脳を始め、フィリピン・インドネシア・タイ・カンボジア・ラオスの各首脳が参列する。その他、オーストラリアからハワード首相が参列するなど、合同葬には計82ヶ国から特使が派遣された。
(2000.06.02更新)
合同葬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:08 UTC 版)
昭和57年10月2日午前8時50分 小脳出血のため、癌研究会付属病院にて死去、84歳であった。葬儀(10月27日)は秋晴れの中、桐蔭学園、茗渓会、科学技術学園、三菱化成工業の合同葬というかたちで行われ、告別式も共に築地本願寺にて行われた。柴田の盟友及び当時の財界、政界の士が多数参列すると共に、柴田が最も愛した未来ある桐蔭学園、茗渓学園、科学技術学園の生徒卒業生達が律をもった美しい列をなすという、柴田らしい凛とした葬儀であった。現在は鎌倉霊園に眠る。
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