し‐さつ【刺殺】
刺殺
刺殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:32 UTC 版)
1921年(大正10年)9月27日、神奈川県中郡大磯町にある別邸・寿楽庵に「弁護士・風間力衛」と名乗る男が現れ、労働ホテル建設について談合したいと申し入れたが、善次郎はこの面会を断った。風間力衛は実在の人物ではあるが、神州義団団長を名乗る朝日平吾が詐称したものであり、風間本人は事件と何の関係もなかった。 翌日、再度善治郎のもとを訪れた朝日は門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。ところが午前9時20分ごろ、善次郎は別邸の十二畳の応接間で朝日から短刀で切り付けられ、逃げようとしたものの廊下から庭先に転落したところを咽頭部に止めを刺されて絶命した。享年82歳。その後、朝日は応接間に戻り、所持していた短刀と西洋刀で咽喉を突いて自殺した。 朝日による斬奸状には、「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」(現代語訳:悪徳豪商の安田善次郎は巨万の富を築いたがその富豪としての責任を果たしていない。国家社会を無視し、貪欲にして卑しくケチで長らく民衆の恨みを集めている。私はその頑なさを哀れみ仏心と慈しみの言葉で諭そうとしたが悔い改めることはなかった。そのため天誅を加えて世の戒めとする)と記されていた。 戒名は正徳院釈善貞楪山大居士。この事件の約1か月後に起きた原敬暗殺事件は、この朝日による事件に刺激を受けたものといわれる。
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刺殺
「刺殺」の例文・使い方・用例・文例
- 走らなければならないランナーを刺殺すること
- フランス人の革命の指導者(スイス生まれ)で、ジロンド党員の打倒におけるリーダーであり、シャーロット・コーディにより風呂で刺殺された(1743年−1793年)
- 野球で刺殺と補殺の数の合計を,刺殺と補殺の数の失策合計で割った百分率
- 1960年には,日比谷公会堂で社会党の浅沼稲(いね)次(じ)郎(ろう)委員長が刺殺された。
- 1999年の痛ましい事件では,全日空の飛行機の機長がハイジャック犯によって刺殺された。
- その刺殺事件後まもなく,不審な若い男が警察官から逃げ,トラックにはねられる。
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