伊156潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 07:50 UTC 版)
「伊156」は吉冨説三司令官が率いる第四潜水戦隊の第一九潜水隊に属した。吉冨少将は、マレー作戦に参戦するマレー潜水部隊指揮官でもあり、醍醐忠重司令官が率いる第五潜水戦隊も指揮下におき、開戦時はマレー半島東方でイギリス東洋艦隊の出撃に備えた。1941年(昭和16年)12月8日、「伊156」はオランダ海軍潜水艦を雷撃したが、命中していない。僚艦の「伊165」(原田毫衛潜水艦長)は英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、同「レパルス」の発見に成功した。第一期作戦終了後の12月末、第四潜水戦隊は第二期作戦として連合国艦船の攻撃に向かい、「伊156」はジャワ島の南方で作戦に従事した。開戦から翌年1月末の帰還までに「伊156」が挙げた戦果は連合国商船4隻(9,076t)撃沈、2隻(10,234t)撃破である。 1月31日、「伊156」はパレンバン攻略作戦(L作戦)に協力する海軍潜水艦部隊として出撃し、商船1隻(973tまたは979t)を撃沈した。第四潜水戦隊は3月10日をもって解隊し、「伊156」は第五潜水戦隊に編入となるが、その2日前に「伊156」は海上にある連合国将兵を発見する。この将兵は英、豪洲国籍の英空軍隊員で、ボートでジャワ島を脱出した12名であった。「伊156」はボートの周囲を旋回したが、攻撃せずに離脱した。この12名の将兵は豪州にたどり着き、うち5名が戦後に豪洲国防省職員に「伊156」乗員を探し出すよう依頼した。職員は当時の「伊156」乗員に「水交」誌上で呼びかけを行い、また毎日新聞にも協力を求め、記事が掲載される。こうして当時の乗員が見つかり、潜水艦長が大橋であったことが判明する。この元「伊156」乗員によれば当時の艦内には漂流者を攻撃する雰囲気もあったが、大橋は見逃すことにした。大橋はこの出来事につき「武器ひとつ持っていなかったのでやめた。いくら戦争でもフェアにやらなきゃ」と語っていたという。豪洲国防省職員は「日本の海軍乗員を代表した、特筆大書すべき同情に満ちた行為であった」と述べている。 「伊156」はミッドウェー海戦に参戦するが、第一航空艦隊(南雲機動部隊)は空母4隻を失う大敗北を喫する。日本海軍潜水艦部隊は、その後も米海軍機動部隊の捕捉を目指し東経180度付近に散開線を展開した。しかし第三潜水戦隊、第五潜水戦隊、および第一三潜水隊を使用し、750kmに及んだこの散開線で発見されたのは「伊156」によるタンカー1隻のみであった。「伊156」は6月に日本へ帰還し、大橋は同潜水艦長から離任した。
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