伊籍
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若いころから同郷の荊州牧劉表のもとに身を寄せていた。劉備が荊州に入るとたびたび往来して交わりを深める。劉表が没すると劉備に従い、益州攻略に随行して左将軍(劉備)の従事中郎に任命される。 呉の孫権のもとへ使者として赴いたとき、孫権は彼を言い負かせようと「無道の君主に仕えるのは苦労するか」とからかった。伊籍はすかさず「いいえ、一度頭を下げてそのまま立ち去るだけですから」と答えた。臣下の前でその主君を侮辱した孫権を無道だと言ったのである。孫権は大いに感心した。 のち昭文将軍に任命され、孫乾・簡雍に次ぐ厚遇を受けた。伊籍は諸葛亮・法正・劉巴・李厳との五人で蜀の法律「蜀科」を制定している。 【参照】簡雍 / 諸葛亮 / 孫乾 / 孫権 / 法正 / 李厳 / 劉巴 / 劉備 / 劉表 / 益州 / 荊州 / 呉 / 山陽郡 / 左将軍 / 左将軍従事中郎 / 昭文将軍 / 牧 |
伊籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 04:24 UTC 版)
伊籍 | |
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蜀漢 昭文将軍 | |
出生 |
生年不詳 兗州山陽郡東緡県 |
死去 | 没年不詳 |
拼音 | Yī Jí |
字 | 機伯 |
主君 | 劉表→劉備 |
伊 籍(い せき、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家。字は機伯。兗州山陽郡東緡県(現在の山東省済寧市金郷県)の人。
事績
荊州刺史の劉表と同郷であり、若い頃から劉表に仕えていた。劉表の在世時から劉備に接近し[1]、劉表の死後は劉備に仕えた。
劉備の益州侵攻に随行し、益州平定後に左将軍従事中郎に任命された。これは簡雍・孫乾らに次ぐ待遇であった。
呉に使者として赴いた際、孫権は伊籍の弁舌の才を知っていたので、逆に言い負かしてやろう考えた。伊籍が入ってきて拝礼したところで、孫権は「無道の主君に仕えて苦労しているのか?」と言った。伊籍は「一度拝礼して一度起つのを苦労とは言いません」と暗に孫権を非難した。伊籍の機智は全てこのようであったので、孫権はたいそう見事だと感心したという。
後に昭文将軍に昇進し、諸葛亮・法正・劉巴・李厳と共に蜀の法律である蜀科を起草した。
三国志演義
小説『三国志演義』では、劉備の乗馬が凶馬的盧であると指摘したり、蔡瑁による劉備暗殺計画を伝えるなど、劉備に好意的な人物として描かれている。また、馬良・馬謖兄弟を推挙している。
脚注
参考文献
- 『三国志』蜀書8伊籍伝
伊籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)
「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「伊籍」の解説
元劉表の幕僚。玄徳が戦場で手に入れた的盧が凶馬であると忠告した。馬良を玄徳の配下に引き入れたり、呉を動かし合肥城を攻めさせたりする活躍を見せる。
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