井原説とは? わかりやすく解説

井原説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/25 16:32 UTC 版)

茨城 (古代山城)」の記事における「井原説」の解説

岡山県井原市。 「イバラ」という地名安那郡隣接することから比定される。ここには井原市中心部井原町の北に「いばらき八幡宮」という神社があり、井原町で最も古い神社で「井原」という地名の語源一つとされている上、近くには古城跡とされる井原富士横手山)がある。また、小田郡矢掛町接す市東部の神代町には、国の端を意味する思われる「末国」という小字があり、末国川呼ばれる河川存在する。これらのことから考えられる説は、下記の通り井原吉備分国後より備中国後月郡井原郷に属し備後国安那郡国境またいで接しており、「続日本紀著者茨城備後国安那郡にあると勘違いして書いたとする説。 井原に関する記述のある古い書物うち、安閑紀伝に「備後後城(しつき / 後月)」(現:井原市高屋町)、「備後多禰(たね / 種)」(現:井原市芳井町種)という記述があり、備中備後誤って書いたではないかという扱いになっている。しかし、これが誤りでないとした場合備中は後から置かれたもので、吉備分国された際に備中存在せず備前備後二国しかなかったか、それとも備中存在し一時的に井原備後属した時があったとする説。 ただし、現在のところ説はあっても井原市内での本格的な調査行なわれたことがない。しかも、井原市芳井町一帯江・簗瀬与井吉井天神山・下山村池谷)は、かつて「井原荘(庄)」と呼ばれ、荘内の井原市芳井町天神山から木之上説福山市神辺町三谷距離的に近いことと、井原市芳井町天神山標高の高い位置にあり、同じく標高の高い北山説福山市加茂町北山望める関係にあるため、これらの関係を含め他説井原荘と関係しているかどうかすらもわかっていない。

※この「井原説」の解説は、「茨城 (古代山城)」の解説の一部です。
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