Academia.eduAcademia.edu

The JET Programme and Aspects of 'Othering'

This paper was created through a 9 month process which consisted of working with a language partner at Hokkaido University. I presented this paper for the Tandem Language Learning Project at Hokkaido. This work is not complete and is a work in progress.

他者化JETプログラム *This paper is a work in progress, and was proposed to the Tandem Language Learning Project August 2014 in Hokkaido. 今日、世界がますます繋がりを持ち、国内の問題が、世界各国へ影響を与えるよ うになっている。そのため、今後国際交流プログラムは益々重要になるだろう。本 論文の目的は、いかに人々が国際交流によって他の文化や社会と付き合うかを探る ことである。なお、本論文では、国際交流の経験がどのように人の説話に影響を与 えるかという問題を扱う。そのため、 国際交流のグローバルな影響を扱う代わりに 個々のレベルに焦点をあてる。この疑問に答えるため、JETプログラムを調査の対 象とし、サイードによるオリエンタリズムの概念と、それがどのように他者化をつ くりだすかを調査する。本研究では、まず、JETプログラムを紹介する。次にJET参 加者に関連する他者化の説明をし、最後に結論を述べる。 JETプログラム JETプログラムは政府の交流プログラムである。このプログラムは 英語が出来る 新卒者をいろいろな村や町、都市に派遣る。その参加者は、教育委員会や教育機関、 そして政府のオフィスで働いて国際化を草の根的なアプローチで推進する。国際交 流を通して、ホストコミュニティと参加者の間に食い違い差が生じる。「JETプログ ラムは、「他者化」の過程を理解する窓として利用できる。さらに、本研究でJET を選んだ理由は、政府が援助する長期的な交換がどのように個人に他者化の影響を 与えるかを調べることができるからである。したがって、 他者化の影響を調べるた めに、参加者の見解を考察する。 ここで、プログラムの目的を理解するために、なぜ、どのようにプログラムが開 始されたかというJETの歴史的背景を説明する。1987年にBETプログラムが発展 し、アメリカ人のフルブライト学者も国際交流に参加できるJapan Exchange and Teaching Programmeになった。JETは能勢邦之から内務省を通じて提案された (McConnell 2000:34)。JETは1987年5月に始まり、1997年から99年には世界で最も 成功した国際交流であると認められている。中曽根首相はJETをレーガン大統領に 感謝の証として提案した。それには、日本が欧米諸国と打ち解け、文化的にさらに 国際的になるという意思表示をする目的があった。JETの開設時、日本には厳格な 貿易障壁があり、アメリカや世界各国に批判を受けていた上に、日本はまた、欧米 の外国人と国外駐在者に好ましからざる国でもあった。同年にアメリカとニュージー ランド、オーストラリア、カナダが参加した 。マクレーアンにはプログラムを発展 させる理想があったが、彼はよくある文化的誤解を緩和できていなかった。その食 い違いや文化的誤解はマコーネル(2002) によって文書化されている。マコー ネルは何年にも渡ってJETプログラムの参加者と社員を調査した。また、クトノコ フとチャンドラー(1999)も、文化的誤解の話を通してJETと日本側の文化の 違いを裏付けている。マクレーアンの目標は、BETの教師と日本人誤解を解くこと だったが、JETの動機はアメリカと日本間での経済的緊張を落ち着かせることだっ た。マコーネルは観察を通してジェットの参加者がいくつかの失態を犯したことを 認めた。それ故に、世界の国々と日本の間には、文化の理解に関してまだ隔たりが 残っている。ある程度、それは本当だと思われるが、違いに出くわすことは必ずし も悪いことではない。いつも悪くないです。 他者化:オリエンタルイズム/オクシデンタリズム サイードは、西洋社会は、挑発し衝撃を与える他者の中で、見解が変幻自在するよ うだと述べた。サイードによって提案されたオリエンタリズムは、非西洋諸国に押 し付けていた西洋の観点を伴った概念である。西洋とはヨーロッパやアメリカ、カ ナダ、オーストラリア、ニュージーランドを指しており、その他は非西洋国である。 この概念は、人間の本性の一部として不可欠であるため、一考の価値がある。 オリエンタリズムは かんさつ に もとづいたしゅかんであり、そのなかには いっしゅの しんじつ がある。背用社会が他者化から衝撃と挑発がいる。だから 他者化の展望は夢幻的みたいから関係づけてできないである。それで夢幻的は他者 化である。サイードは西洋社会が、非西洋諸国、つまり二元論ではない謎めいた考 え方を持つ“他者”から衝撃や挑発を受ける必要があると指摘する。しかしながら、 このような異物や外国人たちは、遠くから「他者」の存在を再構成し想像しながら、 観察者たちから遠く離れて行った。西洋と非西洋諸国との実際の距離も、ますます 彼らの対象への優越性を促すこととなった。現在でも、西洋の立場が他の国々より 優位に受け取られていることは明確である。彼は、西洋と東洋で分割されない研究、 すなわち学問において東洋と西洋間の対立が起きない開放的な状態を望んでいる。 東洋とは、西洋の考えに基づいた「他なる」世界である。そこは、神秘的な感性を 持つ人々がいて、幻想的で壮大な風景のエキゾチックな場所であるかのように覆い 隠されている。 サイードは、例えばドイツ的なオリエンタリズム、英仏的なオリエンタリズム、 そしてアメリカのオリエンタリズムがあるように、この概念が広い範囲に及ぶよう になったと述べている。またさらに、オリエンタリズムの概念は言語学的なオリエ ントや、フロイト派、ダーウィン的なもの、さらには人種差別主義者のものに至る まで拡張されている。これは、オリエンタリズムの持つ文化的影響が西洋的観点に いまだに強く認められることを示している。 しかし、西洋が非西洋諸国に支配的な力を示しているようでいながらも、実際の ところ、その関係は共依存的である。一方が他方を定義する。すなわち西洋は、女 性達の立場と同じように、東洋を劣った存在として設定することで権威を維持して いるのである。西洋と非西洋は、互いを定義し、反映しあっている。この概念をさ らに探求するためには、我々は東洋というものが文化や学術的な場を定義するため につくられたわけではないと指摘する必要がある。それは、東洋側への支配を示す ための権力や知識の関係なのである。フローベールのエジプトへの愛を解釈してい るボトンによると、フローベールは彼の祖国フランスを、「豚の尻にダイヤモンド が見つからないのと同様に、空に太陽が出てこない」と嫌悪していた。フローベー ルは、中東の文化や景観、人々に強い憧れを抱いていた。しかし、彼の憧れは、彼 が一度も訪ねたことがない異国へのステレオタイプな想像であった。 近年は、ポピュラー・オリエンタリズムが奨励される一方、古典的なオリエンタリ ズムも一目置かれている。エキゾチックで空想的な背景としてのオリエンタリズム は、映画やメディアからもたらされる現実観である。それゆえ、この場合の「他者 化」は最初、他文化への想像的な脱出であった。しかし、フローベールの場合、想 像ではなく他者との現実での出会いは、その文化への尊敬を深めただけであった。 当然、彼が他文化を理解する過程には多くの失望や期待外れがあっただろう。しか し、彼の祖国への拒絶が、エキゾチックな世界と馴染むのを後押しした。違いを理 解することは、まるで自身の意思を試すようなものである。その過程で、彼は自分 の見解を広げることができた。その実、フローベールは、新たな方法で国籍を得ら れるよう主張していた。自分の生まれた地や血統によって国籍が得られる代わりに、 文化や社会にどれほど惹かれたかという点で祖国を選ぶべきだという意見である。 オクシデンタリズムはオリエンタルイズムと非常に類似しているが、 その意味は、 多面的でといつも変化をしする。これは、非西洋社会の中で西洋の非人間的な、劣っ た側面を描いており、オリエンタリズムとは逆の意味だといえるだろう。また、オ クシデンタリズムには、違いというものを理解することが欠けている。さらに、西 洋に対する理想も含まれているが、その理想はステレオタイプであり、西洋に対す る妙な幻想である。オリエンタリズムが非西洋から西洋を定義しているのに対して、 オクシデンタリズムは西洋から非西洋を定義しているのである。違いに遭遇し自己 を省みる過程において、我々は、他者というものがオリエンタルとオクシデンタル な観点から生じていると理解する。つまり、人は彼らが出会った異国文化のイメー ジを振り返るのである。 他者化は、魅力されることであると同時に、その反対でもある。 個人に影響を与えるような文化的な相違点に直面した際、そこにはいつも理解と拒 絶のプロセスが存在する。そしてこの影響は、個人が今の自分を定義する記憶を通 して胸に刻まれる。 JET参加者と、彼らの記憶に関連した「他者化」 時間をかけて積んだ経験は、個人を成熟化させる。人が旅に乗り出すとき、蓄えた 経験は未来の自分を育んでくれると期待する。知識や見聞のもととなる経験は、現 在の自己にいろいろな解釈を加えながら、将来の意思決定に影響を与えるような過 去の出来事を繰り返すことによって得られる。思い出や記憶は、他者が現れるとこ ろである。ソルニットは、見知らぬ者に出会う喜びについて述べている(2005; Ferryhough, 2013:29)。彼女によると、「lost」には二つの意味がある。『物を無くな るについて慣れることを落ちる、迷って慣れることについて慣れないことを現れる (Solnit, 2005:22)。すなわち、「見慣れている物をなくしてしまうということ(lost) と、道に迷う(lost)、つまり見知らぬものが現れるということ」である(Solnit, 2005:22)。ファーニホウは、ケンブリッジの学部で過去の日課を思い出しながら、 精通しているものの中に見慣れぬものが展開すると説明する(2013:23-8)。彼は、か つてよく知っていたはずの場所で道に迷ってしまった。そこでは彼が若かりし日に、 恋に落ち、学び、若者から大人へと変わったりと、多くの出来事があった。しかし、 それぞれの文脈は変わっており、呼び起こされる思い出もまとまりがない。過去は 現在とは平行ではないのである。ここでファーニホウは、彼の思い出に具体性が欠 けていることがわかった。のが、簡単に、ついさきほど経験したばかりのものに変 わる。では、この思い出のプロセスが、どのようにJET参加者やそのOB・OGたちと 関係するのだろうか。JETの参加者は、見知らぬものとの遭遇やそれへの挑戦を楽し みにしている。個人の狭い了見を越えて展開する出来事は、そのままでは眠ってい たであろう心的機能を刺激し、目覚めさせる。本研究を通して、これらの経験がど のように個人の将来への意欲を形成し、また、どのように記憶を通じて現在を作り 出すかを明らかにする。JET参加者やそのOB・OGたちは、日本での思い出を未来へ の意欲に発揮する。そのため、本研究はどのように思い出が個人の身の上話へ影響 を与えるのかという記憶の中の特定のテーマを探るものとなるだろう。本研究の目 標は、個々の記憶への愛着と、それがどのように個人と他者間を強く結び付けるの かを理解することである。そのため、本研究において、個人の体験談は重要となる。 自己の体験談は大切なことですから研究の目的は個人に思い出が接続過程がるどの ように個人と他者化は強いな絆を結べる。絆は相互に個人の将来とホストコミュニ ティを為になる。また、本研究は、個人と他者が強い絆を結んだ思い出に関係して おり、個々の未来と、同じくホストコミュニティに対しても、相互に利益をもたら す。思い出は、個人が経験から遠ざかる際に、なお一層強く形成される。それは、 人が過去への回想でノスタルジックな愛着を感じるときを指す。JET参加者にとっ て、彼らが日本にいるのは、早期の成人期において大きな影響を与える時期である。 JETには公式な年齢制限はないが、CLAIR(自治体国際化協会)はウェブサイトにお いて、JETが若者の交流であることを応募者に忠告している。近年、十代や成人期の 初めの頃がどのように後の人生におけるアイデンティティに影響を与えるかが、一 部の研究で示されてきた。今日、我々は、この抗い難い世界の中で、自分がどのよ うな人間でありたいかを型にはめて決めてしまおうとしている。したがって、多感 な若いJET参加者にとって、日本で過ごす期間は、人生で最も衝撃的で忘れられな い時間となるだろう。彼らは、文化的・人口的にもおそらく全く異なる都市、町、 村に派遣され、その社会に住むことで自分自身を試している。彼らは、他のJET参加 者や、異なる状況では仲を深めることができなかったかもしれない地域の人々と友 情を築くだろう。参加者の多くは、この機会がなければ顧みなかったであろう形で 彼ら自身について学ぶだろう。彼らがJETプログラムを離れるとき、これまでの現 地の生活を切望することになるとは、おそらく考えないだろう。確かに、思い出と はさまざまなことに影響されて作られる上、何事もすぐに懐かしいと感じてしまう。 懐かしい日本での生活は、自然と通り過ぎてしまうだろう。 References Arnett, J. J., 2005 Emerging Adulthood: Understanding the New Way of Coming of Age, In: J. Arnett and J. L. Tanner, eds. (n.d.) Emerging Adults in America: Coming of Age in the 21st Century, Washington: American Psychological Association Press. Chp. 1. Botton, A. 2004. The Art of Travel. New York:First Vintage International Edition. Fernyhough, C., 2013. Pieces of Light. Croydon, England: CPI Group JET faq, 2010. Found at <.http://www.jetprogramme.org/e/faq/faq02elig.html> [Accessed May 11, 2014]. Said. E., 2003. Orientalism. London: Penguin Books. Said, E., 1985. Orientalism Reconsidered. Cultural Critique No. 1., Available at: http:// links.jstor.org/sici?sici=0882-4371%28198523%290%3A1%3C89%3AOR%3E2.0.CO %3B2-6 pp.89-107. [Accessed August 2010]. Solnit, R., 2005. A Guide To Getting Lost. New York: Penguin Group. Suzuki, S., 2007., The importance of 'Othering' in China's national identity: Sino-Japanese relations as a stage of identity conflicts. The Pacific Review, 20(1) pp. 23-47. London: Routledge. Available at: <http://dx.doi.org/10.1080/09512740601133195> [Accessed February 28 2013]. Vij, R., 2012. Temporality, Civic Engagement and Alterity: Indo-kei in Contemporary Japan. Alternatives: Global, Local, Political, 37 (1) 3-29. Available at: sagepub.com/ journalsPermissions.nav. [Accessed March 19, 2013].