鹿又武三郎
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鹿又 武三郎 | |
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出生地 | 仙台藩宮城郡仙台 |
在任期間 | 1919年(大正8年)7月17日 - 1927年(昭和2年)7月26日 |
鹿又 武三郎(かのまた たけさぶろう、明治3年3月13日[1](1870年4月13日) - 1933年(昭和8年)[2])は、仙台市長。検事。弁護士。
経歴
[編集]仙台出身。1895年(明治28年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、判事検事登用試験に合格した[1]。1898年(明治30年)、湯沢区裁判所 検事となり、奈良地方裁判所検事、大阪地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事、富山地方裁判所検事正、名古屋控訴院検事、旭川地方裁判所検事正などを歴任した[1]。
1919年(大正8年)、仙台市長に就任し、2期8年務めた。3期目を目指した1927年(昭和2年)8月の仙台市長選挙では、市会(市議会)投票において13票を獲得するも、15票を獲得した山口龍之助に及ばず落選した[3](当時の市長は公選ではなかった)。
この選挙戦では、市会において鹿又派と山口派が多数派工作のために激しく対立、市会の過半数の支持を獲得できなかった山口は、当選後にも困難な市政運営を強いられることになった[3]。
市長退任後は弁護士として活動し、仙台育英中学校理事長を務めた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。