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飛騨国分寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飛騨国分寺

本堂
所在地 岐阜県高山市総和町1-83
位置 北緯36度8分36.06秒 東経137度15分13.3秒 / 北緯36.1433500度 東経137.253694度 / 36.1433500; 137.253694座標: 北緯36度8分36.06秒 東経137度15分13.3秒 / 北緯36.1433500度 東経137.253694度 / 36.1433500; 137.253694
山号 醫王山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来坐像(国の重要文化財)
創建年 746年天平18年)頃
開基 行基聖武天皇(勅願)
正式名 金光明四天王護国之寺
札所等 飛騨三十三観音霊場第一札所、中部四十九薬師霊場四十一札所
文化財 本堂、木造薬師如来坐像、木造聖観音菩薩立像、小烏丸の太刀(重要文化財)
塔跡(国の史跡)
三重塔、木造阿弥陀如来坐像、木造不動明王立像(県文化財)
公式サイト 醫王山 飛騨国分寺
法人番号 1200005009874 ウィキデータを編集
飛騨国分寺の位置(岐阜県内)
飛騨国分寺
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山門
鐘楼堂
三重塔
大イチョウ

飛騨国分寺(ひだこくぶんじ)は、岐阜県高山市にある高野山真言宗寺院である (国は旧字体「國」が正式)。山号は医王山(医は旧字体「醫」が正式)。

沿革

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741年天平13年)、聖武天皇により国分寺建立のが発せられ、746年天平18年)頃、行基によって建立されたという。

819年弘仁10年)、火災で焼失。855年斉衡2年)ころ、再建される。

室町時代本堂が再建されるが、詳しい時期は不明である。七重塔(現三重塔)に再建記録とほぼ同じと推測すると、応永年間に焼失後再建され、1585年天正13年)、金森長近姉小路頼綱松倉城を攻めたさいの兵火で焼失する。この後、再建と考えられる。

1615年元和元年)に三重塔が再建されるが、1791年寛政3年)に暴風雨で倒壊。1821年文政4年)再建されたのが現在の塔である。

1695年元禄8年)、飛騨国天領となり、高山城が取り壊され、一部は飛騨国分寺に移築され、鐘楼門などに利用されたという。

伽藍

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  • 山門
  • 本堂
  • 大師堂
  • 庫裏
  • 鐘楼堂(鐘門形式)
  • 三重塔
  • 不動堂
  • 庚申堂

文化財

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重要文化財(国指定)
史跡(国指定)
  • 飛騨国分寺塔跡(奈良時代) - 七重大塔の心礎(心柱の礎石)、上面に径1.3メートルの円柱座と舎利孔がある。
天然記念物(国指定)
岐阜県指定重要文化財
高山市指定文化財
  • 国分寺鐘楼門[2]
  • 国分寺表門 附棟札[3]
その他の文化財

所在地・アクセス

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その他

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  • 庚申堂の横には2007年に「願掛けなでさるぼぼ」(石像)が設置され、古くなったサルボボ人形用の棚が設けられてあり、さるぼぼ人形の供養が行われる。
  • 飛騨国国分尼寺は、国分寺の西約600m付近に建立されていた。跡地は辻ヶ森三社となっており、境内から金堂の礎石などが発掘されている。

脚注

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  1. ^ 飛騨国分寺の大イチョウ(日本遺産構成文化財)”. 岐阜の旅ガイド. (一社)岐阜県観光連盟. 2024年7月11日閲覧。
  2. ^ 国分寺鐘楼門”. 高山市 (2021年12月18日). 2024年7月11日閲覧。
  3. ^ 国分寺表門 附棟札”. 高山市 (2021年12月18日). 2024年7月11日閲覧。

外部リンク

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