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少佐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陸軍少佐から転送)

少佐(しょうさ)は、軍隊の階級の一。佐官に区分され、中佐の下、大尉の上に位置する。北大西洋条約機構の階級符号ではOF-3に相当する。

主要先進国軍隊では、大尉から少佐への昇進時に特別な専門教育を受ける。個人の能力以外に「現場での集団への指揮能力」を認められた者に与えられる役職である。そのために昇進することができず最終階級が大尉で除隊する者が多い。

日本

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旧日本軍

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版籍奉還の後、1870年10月12日(明治3年9月18日)に太政官の沙汰により海陸軍大佐以下の官位相当を定めたときに海陸軍中佐の下、海陸軍大尉の上に海陸軍少佐を置き正六位相当とした[1][注釈 1] [注釈 2] [注釈 4] [注釈 5]1871年2月11日(明治3年12月22日)に各常備兵編制法を定めたときに歩兵大隊の大隊長を少佐と改称した[12] [13] [注釈 4]。少佐は奏聞を経て任ずるもの(奏任官)とした[注釈 6] [12] [13]。 明治3年11月には太政官による海陸軍少佐の任官の例が見られる[注釈 8]

廃藩置県の後、明治4年8月[注釈 9]の官制等級改定[26]及び兵部省官等改定[27] [注釈 10]や明治5年1月の官等改正[33]及び兵部省中官等表改定など数度の変更があり[27] [注釈 11]、明治5年2月の兵部省廃止及び陸軍省海軍省設置を経て[35][注釈 12]、明治6年5月8日太政官布達第154号[36] [37]による陸海軍武官官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ[注釈 18]西欧近代軍の階級呼称の序列に当てはめられることとなった[注釈 19]。当初、日本陸海軍(日本空軍は存在しない)では大佐以下少佐までを上長官、大尉以下少尉までを士官と呼称した[37] [44] [45] [46]

自衛隊

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自衛隊では、3等陸佐・3等海佐・3等空佐(略称は3佐)に当たる。陸上自衛隊においては、連隊・群・大隊の中隊長職他、司令部(陸上総隊方面総監部師団旅団)の長及び付隊長、連隊本部・群本部の科長、大隊本部の係主任等に就いているのが一般的である。大隊長職に就く場合もある(2佐に昇任予定の3佐・大隊長職にあたる2佐の充足不足等)。警察では警視に相当し、中央官庁では本省係長に相当する[47]

3等陸佐及び3等空佐以上の正帽目庇には飾りが付されるが、3等海佐には付されない。海上自衛隊において正帽目庇の飾りは艦長相当職以上の証であり、原則として3等海佐は艦長には任じられない[注釈 20]ためである[48]

アメリカ合衆国

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アメリカ陸軍少佐(上)及び海軍少佐(下)の階級章

イギリス

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イギリス

ドイツ

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ドイツ

フランス

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フランス

中華人民共和国

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中華人民共和国

中華民国

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中華民国

大韓民国

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大韓民国

脚注

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注釈

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  1. ^ 法令全書では布達ではなく「沙汰」としている[2] [3]。また、第604号はいわゆる法令番号ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号[4]
  2. ^ 1870年7月19日に普仏戦争が始まったことから、太政官は局外中立を徹底するために同年8月21日(明治3年7月25日)に赤塚源六中島四郎中牟田倉之助の3人に当分小艦隊指揮を命じて主な条約港の守衛と兼ねて海岸を護らせることにしたが[5]、兵部省が弁官宛に上申していた海陸軍大佐以下の官位相当表が未だに決定されていなかったことから、同年8月24日(同年7月28日)に兵部省は官位相当表を急ぎ決定するように催促した[6]。太政官は明治3年7月 (旧暦)に小艦隊指揮は従六位相当と定め[7]、同年9月 (旧暦)に海陸軍大佐以下の官位相当表を決定した。
  3. ^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[8]
  4. ^ a b 1870年10月26日(明治3年10月2日)に海軍はイギリス[注釈 3]、陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示され、各藩の兵も陸軍はフランス式に基づき漸次改正編制させていった[9]
  5. ^ 少佐は中国の古典語には存在せず清末以前の文献からも見つけられないため、日本語による造語である可能性が高いと推測される[10]。 荒木肇は、律令制の官職名が有名無実となっていたことを踏まえて、名と実を一致させる。軍人は中央政府に直属させる。などの意味合いから衛門府・兵衛府から佐官の官名を採用したのではないかと推測している[11]
  6. ^ 少佐に任官するときに「任 何藩陸軍少佐」と記された宣旨を作成することになった[14]
  7. ^ a b c d e f 初めて任官するときにあってはすべて本官相当の2等下に叙位することになっていたため、正六位相当の少佐は2等下の正七位を叙位した[16]
  8. ^ 明治3年11月調べの職員録では、海陸軍の少佐として掲載されているものはまだ一人もいなかったが[15]、1871年1月7日(明治3年11月27日)に伊東二郎を海軍少佐に任じており、そのときの沙汰では海軍少佐に任じてから伊東海軍少佐に正七位を叙位し[注釈 7]、伊東海軍少佐に龍驤艦副艦長を命ずる辞令を個別に出しており、海軍少佐の階級と正七位の位階[注釈 7]と副艦長の職とをそれぞれ区別している[17]。1871年1月9日(明治3年11月29日)に揖斐章を陸軍少佐に任じ、正七位に叙位している[18][注釈 7]。1871年4月6日(明治4年2月17日)に柳楢悦を海軍少佐に任じており、このときの達でも先ず海軍少佐に任じ、海軍少佐の柳楢悦に正七位を叙位し[注釈 7]、海軍少佐の柳楢悦に春日艦艦長を命ずる辞令を個別に出した[19]。明治4年4月調べの職員録では、海軍の少佐として伊東祐麿(正七位守朝臣祐麿)と柳楢悦(正七位守源朝臣楢悦)が掲載されており、陸軍の少佐として揖斐政明(正七位守源朝臣政明)が掲載されている[20]。 1871年6月5日(明治4年4月18日)に真木長義を海軍少佐に任じ、同じく石井忠亮を海軍少佐に任じており、このときの沙汰では両名とも海軍少佐への任官の辞令に「艦長如故」と付記されており、海軍少佐も艦長も官職名として扱われているように見える。なお、両名とも海軍少佐に任じた上で正七位を叙位されている[注釈 7] [21]。1871年7月12日(明治4年5月25日)に柴誠一(貞邦)を海軍少佐に任じており、このときの沙汰でも先ず海軍少佐に任じ、海軍少佐である者に正七位を叙位している[注釈 7]。柴誠一は海軍少佐に任ぜらたときに乾行艦長代であったが「艦長代如故」のような記載はない[22]。なお、明治4年6月調べの職員録では、海陸軍の少佐は調査されておらず掲載されていない[23]
  9. ^ 陸軍では服役年の始期は明治4年8月を以って始期とするため、その以前より勤仕の者であったとしても総て同月を始期とした[24]。 海軍では服役年の始期について、准士官以上は明治4年8月以前は服役年に算入しない[25]
  10. ^ 1871年9月19日(明治4年8月5日)に兵学少教授の近藤真琴を海軍少佐兼少教授に任じ、兵学大助教の田中義廉を海軍少佐兼大助教に任じ、同じく兵学大助教の本山漸を海軍少佐兼大助教に任じた[28]。 明治4年12月調べの職員録には、海軍少佐の柴貞邦の他9人が掲載されており、海軍少佐の伊東俊、明治4年10月任海軍少佐兼兵学少教授の麻生武平、明治4年10月任海軍少佐兼兵学少教授の長田正言、明治4年10月任海軍少佐兼兵学少教授の粟津高明、明治4年10月任海軍少佐兼兵学少教授の戸倉祐之、明治4年11月任海軍少佐の福島敬典、明治4年11月任海軍少佐の相浦紀道が加わった[29][30]。陸軍では廃藩置県があった明治4年7月から陸軍少佐の任官が増えており、明治4年7月任陸軍少佐の野津道貫の他28人が掲載されている[31][32]
  11. ^ これまでの順席では海軍を上、陸軍を下にしていたが、1872年2月28日(明治5年1月20日)の官等表から陸軍を上、海軍を下に変更した[34]
  12. ^ 明治5年5月調べの官員全書(陸軍省武官)には、明治5年2月任陸軍少佐の大河内正質の他49人が掲載されている[32]。明治5年5月調べの官員全書(海軍省)には、海軍少佐として柴貞邦の他8人が掲載されており、明治5年3月任海軍少佐の澤野種鐵が加わった[30]
  13. ^ 少佐心得はその本官の職を取る。本官とは、少佐は大隊長の職を取る[40]
  14. ^ 准少佐並び職務は前項の少佐心得に等しいもの[40]
  15. ^ 准席はすべてその官相当の職を取っていたもの。即ち少佐は大隊長[40]
  16. ^ 一等士官は少佐相当であってその職を取っていたもの[40]
  17. ^ 准一等士官は前項の一等士官に等しいものであってその職を取っていたもの[40]
  18. ^ 1873年(明治6年)5月以前に用いられた各種名義の軍人について、当時の官制に於いて規定した明文がないものの、例えば心得、准官のような名義の者であっても当時は戦時に際して上司の命令を以て実際に軍隊・官衙等に奉職しその任務を奉じたことから、明治25年5月に陸軍大臣の請議による閣議に於いてこれらを軍人と認定しており[38] [39]、これらのうち少佐に相当するものには明治3・4・5年の頃の少佐心得[注釈 13]、明治2・3・4年の頃の准少佐並び職務[注釈 14]、明治2・3・4年の頃の少佐准席[注釈 15]、明治元年以降、明治4年頃までの一等士官[注釈 16]・准一等士官[注釈 17]などがある[41] [40] [39]
  19. ^ 1872年2月20日(明治5年1月12日)に兵部省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとコマンドルを少佐に対応させている[42][43]
  20. ^ ミサイル艇掃海艇の「艇長」には3等海佐か1等海尉が就く。

出典

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  1. ^ ウィキソース出典 太政官『海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク』。ウィキソースより閲覧。 
  2. ^ 内閣官報局 編「第604号海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(9月18日)(沙)(太政官)」『法令全書』 明治3年、内閣官報局、東京、1912年、357頁。NDLJP:787950/211 
  3. ^ 「御沙汰書 9月 官位相当表の件御達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090037000、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)
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  10. ^ 仇子揚 2019, pp. 84–85, 102, 107–108, 附録65.
  11. ^ 荒木肇陸軍史の窓から(第1回)「階級呼称のルーツ」」(pdf)『偕行』第853号、偕行社、東京、2022年5月、2023年11月12日閲覧 
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  14. ^ 「諸藩陸軍少佐宣旨書式ノ例」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070310400、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第三十八巻・官規・文書一(国立公文書館)
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  40. ^ a b c d e f JACAR:A15112559500 (第7画像目から第10画像目まで)
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参考文献

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  • 「明治ノ初年各種ノ名義ヲ以テ軍隊官衙等ニ奉職セシ者軍人トシテ恩給年ニ算入方」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112559500、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第四十二巻・賞恤・褒賞・恩給・賑恤(国立公文書館)

関連項目

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