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長六橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国道3号標識
国道3号標識
長六橋(1991年)
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 熊本県熊本市中央区
交差物件 白川[1]
路線名 一般国道3号[2]
施工者 建設省九州地方建設局[2]
着工 1983年(昭和58年)[2]
竣工 1990年(平成2年)10月[4]
開通 1991年(平成3年)4月23日[3]
構造諸元
形式 PC3径間連続箱桁橋[5]
全長 123.2m[5]
22.0m[5]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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長六橋(1927年)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 熊本県熊本市中央区
交差物件 白川[1]
用途 鉄道併用橋[6]
路線名 国道2号(開通当時)[8]
設計者 増田橋梁事務所[6]
施工者 日本橋梁(上部工)・西松組(下部工)[7]
着工 1925年(大正14年)11月29日[7]
竣工 1927年(昭和2年)3月12日[7]
閉鎖 1991年(平成3年)
座標 北緯32度47分41秒 東経130度42分07秒 / 北緯32.794639度 東経130.702028度 / 32.794639; 130.702028座標: 北緯32度47分41秒 東経130度42分07秒 / 北緯32.794639度 東経130.702028度 / 32.794639; 130.702028
構造諸元
形式 鋼ブレーストリブ・タイドアーチ[6]
全長 74.5m[9]
20.0m[9]
最大支間長 73.1m[9]
地図
長六橋の位置(熊本県内)
長六橋
関連項目
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長六橋(ちょうろくばし)とは、熊本県中央の白川に架かる、国道3号の橋の一つである。最初に作られたのは1601年(慶長6年)で、加藤清正熊本藩中部を流れる白川に唯一架けた橋で、この名がある[注 1]。当時は城下町南方面の防備の必要から、白川に架かる橋はこの橋しかなかった。その後、流失も多く、架け替えがあったが[注 2]、昭和2年に川尻電車の路面電車併用の鉄橋が完成した。この時は当時最新型のトラス・タイド・アーチ橋 (Truss tied arch bridge) であった。その後、平成2年にPC桁橋に建替えられた。

歴史と現状

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1896年(明治29年)橋を架け替えられたが明治33年の大洪水で流出、その後1902年(明治35年)に架けられたが、大正12年の大洪水により流出している。しかしついに、大正12年の大洪水で流失した木橋に替えて、鉄橋にすることが同年の県議会で可決された。大正13年の暮近くには国の補助も出ることとなり、熊本電気軌道株式会社も新路線敷設のために寄付を申し出、大正14年11月に起工式が行われた。こうして近代鉄橋の長六橋は昭和2年2月に完成、3月12日に開通式を挙行するに至った。新しい長六橋はトラスタイドアーチ橋で、当時としてはたいへん先進的な橋であった。開通半年後の9月8日から電車が橋の中央を走ったが、1959年3月まで橋をまたいで、河原町川尻間の運転が続いた。(1965年に川尻電車は営業を停止。)[11]

1958年6月26日の6.26白川大水害の際は当時白川に架けられた17箇所の橋梁の多くが流失する中、長六橋は無傷のままで残り、現在に至るまで熊本市と県南部・南九州とを結ぶ国道3号線の要路として、交通量も極めて多い。

1990年10月には鉄橋からコンクリート橋となったが、熊本駅よりの電車道からの取り付け道路は直角の不自然な形を呈している。[11]2014年3月14日現在の橋梁台帳によると、橋長 123.20m,総径間数 3 橋面積 2809.0平方メートル、厚さ上7.0平方cm,構造体番号1 支間長 40.290m 41.500m 40.290 PC橋、桁形式区分 連続桁、路面位置 上路橋 構造形式 ポステン橋桁、床版種類使用形式 一体型(場所打主桁+場所打床版)床版厚 26.0cm 本体塗装面積 7586.0平方メートル 下部工諸元 構造形式A1 ラーメン橋台、A2 逆T式橋台 P1 壁式橋脚、P2 壁式橋脚 幅員 全幅員 22.8m, 有効幅員 22.0m, 左側 歩道幅 3.00m 路肩幅 0.50m, 車道幅 6.0m, 車線数 2, 中央帯 2.00m, 分離帯 1.00m, 左は右と同じ、ほかに交通状況が記載されており、渋滞がほぼ毎日、長時間にわたり生じるとある。 [12]

昭和2年のトラス・タイド・アーチ橋

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タイドアーチ橋はアーチの形をした構造を呈するが、普通のアーチ橋と異なる。普通のアーチ橋では支点部に水平力が働く。これに対し弓のように、支点部同士を引張部材(タイ)で結び、水平力を伝達させる形式をタイドアーチ形式または自定式アーチと呼ぶ。この形式では、水平力は橋内部に閉じこめられるため、支点部に水平力は発生しない。

脚注

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注釈

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  1. ^ 戸塚らは長六という人が作ったという説もあるという[10]
  2. ^ 流失回数は8回という説もある[10]

出典

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  1. ^ a b 小林一郎「長六橋の保存問題について」(PDF)『土木学会年次学術講演会講演概要集第46回第1部門』、社団法人土木学会、東京、1991年3月、746-747頁、全国書誌番号:000536562019年12月29日閲覧 
  2. ^ a b c 建設省九州地方建設局「工事紹介・報告 - 一般国道3号 長六橋」(PDF)『九州橋梁・構造工学研究会会報』第7号、九州橋梁・構造工学研究会、福岡、1990年6月15日、46頁、全国書誌番号:001195522019年12月29日閲覧 
  3. ^ 山本清孝・小林一郎「長六橋の歴史的評価について」(PDF)『土木学会西部支部研究発表会講演概要集』、社団法人土木学会西部支部、福岡、1992年3月、74-75頁、全国書誌番号:000677392019年12月29日閲覧 
  4. ^ 瀬長忍・五十畑弘「歴史的橋梁のデザインに関する調査」(PDF)『日本大学生産工学部学術講演会講演概要』第39号、日本大学生産工学部生産工学研究所、千葉、2006年12月2日、ISSN 218656472019年12月29日閲覧 
  5. ^ a b c 岩屋信一郎・新開敏彦「橋めぐりにしひがし…建設省編 - 九州地方建設局の巻」(PDF)『虹橋』第46号、社団法人日本橋梁建設協会、東京、1992年1月、14-30頁、ISSN 09123938全国書誌番号:000504582019年12月29日閲覧 
  6. ^ a b c 福井次郎「橋梁設計技術者・増田淳の足跡」『土木史研究論文集』第23巻、社団法人土木学会、東京、2004年6月15日、165-175頁、doi:10.11532/journalhs2004.23.165ISSN 13495712NAID 130003710096全国書誌番号:01006374 
  7. ^ a b c 戸塚誠司「熊本県下における近代橋梁の発展史に関する研究」、熊本大学、熊本、1999年3月25日、doi:10.11501/31621902019年12月29日閲覧 
  8. ^ 内務省土木試驗所『本邦道路橋輯覧增補』内務省土木試驗所、東京、1928年3月17日、64頁。doi:10.11501/1178423全国書誌番号:47020726 
  9. ^ a b c 戸塚誠司・小林一郎「近代土木遺産の評価の視点と保存方法について -旧長六橋(熊本市)を事例にして-」(PDF)『土木学会年次学術講演会講演概要集第52回共通セッション』、社団法人土木学会、東京、1997年9月、210-211頁、全国書誌番号:000536562019年12月29日閲覧 
  10. ^ a b 戸塚[1997:26]
  11. ^ a b 中村[2005:114-115]
  12. ^ 橋梁台帳 2014年3月14日改定版 国土交通省行政文書より

参考文献

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関連文献

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関連項目

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外部リンク

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