銭龍錫
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銭 龍錫(せん りゅうしゃく、1578年12月21日(万暦6年11月13日) - 1645年)は、明末の官員。字は稚文、号は機山。
生涯
[編集]万暦35年(1607年)に科挙に合格して進士に及第し、庶吉士になった。後、翰林院編修、少詹事に累進した。天啓4年(1624年)、礼部右侍郎に進した。天啓5年(1625年)、吏部右侍郎に異動したが、魏忠賢と合わず、免職となった。
崇禎元年(1627年)、復職して礼部尚書と東閣大学士に上った。魏忠賢の一党が粛清されるのを支持し、大いに恨みを買った。
崇禎2年12月(西暦では1629年)、袁崇煥に連座して辞職したが、翌崇禎3年(西暦では同年)、郷里で逮捕され、死刑囚となった。崇禎4年(1630年)、定海衛に送られ労役に就かされた。
14年後、崇禎17年(1644年)に崇禎帝が自殺し、弘光帝が南京で即位すると恩赦を受け、帰郷した。翌年、病没した。