達如
表示
達如(逹如[1]) | |
---|---|
安永9年4月26日 - 慶応元年11月4日 | |
幼名 | 說丸(あきまる)⇒光養丸 |
法名 | 逹如 |
号 | 愚泉 |
院号 | 無上覺院 |
諱 | 光朗 |
尊称 | 達如上人 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | (後の真宗大谷派) |
廟 | 大谷祖廟 |
達如(たつにょ、逹如[1])は、江戸時代後期の浄土真宗の僧。 東本願寺第二十代法主[2] 。
経歴
[編集]本ページでは、年齢は、数え年。日付は、暦の正確性、著作との整合を保つ為、寛政9年(1797年[3] )までは、宝暦暦表示。寛政10年(1798年)から、天保14年12月29日(1844年2月17日)までは、寛政暦表示。天保15年1月1日(1844年2月18日)からは、天保暦表示とする(歿年月日を除く)。また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
- 安永9年4月26日[4](1780年5月29日)、第十九代法主 乗如の子として誕生。
- 寛政4年(1792年)2月19日、得度。
- 同年2月22日、父・乗如の示寂にともない、第二十代法主を継承。
- 文政6年(1823年)11月、本堂、再焼失。
- 文政8年(1825年)、本堂・再建を発願。
- 天保6年(1835年)3月、落成。
- 弘化3年(1846年)、次男・嚴如(大谷光勝)に法主を委譲、渉成園に退隠する。
- 慶応元年11月4日(1865年12月21日[3])、86歳にて示寂。
脚注
[編集]