諏訪忠礼
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時代 | 江戸時代末期(幕末) - 明治時代 |
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生誕 | 嘉永6年1月13日(1853年2月20日 |
死没 | 明治11年(1878年)10月10日 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の吉祥寺 |
官位 | 従五位下、伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃国諏訪藩主 |
氏族 | 諏訪氏(神人部氏) |
父母 | 父:諏訪頼威、養父:諏訪忠誠 |
妻 | 正室:神人部直子(諏訪忠誠の娘) |
諏訪 忠礼(すわ ただあや)は、信濃諏訪藩の第10代(最後)の藩主。
生いたち
[編集]嘉永6年(1853年)正月13日に諏訪頼威(諏訪左源太神人部頼威、第8代藩主諏訪忠恕の三男)の次男に生まれた。慶応4年(1868年)2月8日、高島藩主で伯父に当たる忠誠の婿養嗣子となった。同年5月15日の養父の隠居により家督を継いだ[1]。
明治元年(1868年)の戊辰戦争において諏訪藩は新政府軍に加わり、甲州勝沼の戦いや北越戦争・会津戦争に参戦した。
明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で高島県知事となった。
同年11月20日、高島県廃止と共に免官され、東京へ移った。明治11年(1878年)10月10日に若くして死去した。享年26。家督は養父の忠誠が再び相続した。
系譜
[編集]父母
正室
- 直姫 ー 諏訪忠誠の娘