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西部洋平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西部 洋平
名前
カタカナ ニシベ ヨウヘイ
ラテン文字 NISHIBE Yohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-12-01) 1980年12月1日(44歳)
出身地 兵庫県神戸市
身長 187cm
体重 79kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1996-1998 日本の旗 帝京第三高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2005 日本の旗 浦和レッズ 33 (0)
2003 日本の旗 鹿島アントラーズ (loan) 0 (0)
2004-2005 日本の旗 清水エスパルス (loan) 56 (0)
2006-2010 日本の旗 清水エスパルス 134 (0)
2011 日本の旗 湘南ベルマーレ 38 (0)
2012-2015 日本の旗 川崎フロンターレ 82 (0)
2016-2020 日本の旗 清水エスパルス 21 (0)
2021-2022 日本の旗 カターレ富山 31 (0)
通算 395 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

西部 洋平(にしべ ようへい、1980年12月1日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー

来歴

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浦和レッズ

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1999年浦和レッズに入団したが、その年にチームはJ2降格となる。2000年のJ2終盤では、総監督に就任した横山謙三に抜擢され田北雄気を抑えて正GKの座を掴み、J1復帰に貢献。しかし、2002年ハンス・オフトが監督に就任すると開幕直後こそは正GKとしてゴールマウスに立っていたが、シーズン序盤に当時2年目の山岸範宏に正GKの座を奪われ出場機会が激減。

2003年には都築龍太が加入した事で、第3のGKとなってベンチ入りすらも出来なくなった。

鹿島アントラーズ

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2003シーズン途中の6月にGKに負傷者が続出していた鹿島アントラーズに期限付き移籍するも曽ヶ端準の前に出場機会はなかった。

清水エスパルス

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2004年からは清水エスパルスに期限付き移籍した。清水ではそれまで正GKだったアテネ五輪代表の黒河貴矢を押しのける形で開幕からスタメンで出場。以降、清水の守護神としてゴールマウスに君臨。2006年より完全移籍となった。

2007年には日本代表候補合宿選手に選出され、アジアカップ予選の際には予備登録メンバーに選出された。

2008年の中盤戦以降はチームの下位低迷と自身の不調から、後輩である北京オリンピック代表の山本海人にポジションを奪われ出場機会が減っていった。2009年は山本の故障もあり開幕からスタメン出場を果たしたものの、中盤戦からは再び山本にポジションを奪われた。終盤戦にチームの失速と山本の不調もあって再びポジションを取り戻したものの、移籍後最低の14試合出場にとどまった。一方、天皇杯は3試合に出場しいずれも無失点でチームの勝利に貢献した。西部の活躍もあり、チームはベスト4に進出した。

2010年は山本の怪我もあり、開幕からレギュラーを務めて32試合に出場。シーズン終了後にチームから契約満了に伴い来期の契約を更新しないと発表された[1]

湘南ベルマーレ

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2011年J2へ降格した湘南ベルマーレへ完全移籍した[2]野澤洋輔阿部伸行を抑えて正GKとして全38試合にフル出場したが、チームは14位に低迷し同年限りで退団。

川崎フロンターレ

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2012年川崎フロンターレへ移籍。杉山力裕高木駿らを差し置き正GKとしてプレーしていたが、2015年の試合中の負傷を機に新井章太にポジションを奪われ出場機会が徐々に減少していった。

清水エスパルス復帰

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2015年12月16日、清水への完全移籍を発表した[3][4]。6年ぶりに古巣へ復帰することになった。 2016年はレギュラーに定着するも、大怪我を負いその後の試合はメンバー外。翌年の2017年まで怪我は続いた。怪我から復帰した2018シーズンは、守護神六反勇治の控えとしてベンチ入りを果たし、続く2019シーズンは六反の怪我もあってシーズン途中からレギュラーに定着し、2年ぶりのリーグ戦出場を果たした。その後は加入した大久保択生とポジションを争い、結果シーズン通して14試合に出場した。 2020シーズンはその大久保や、梅田透吾の台頭。さらにはネト・ヴォルピの加入もあって第4GKに降格。シーズン通して1試合の出場に留まる。

カターレ富山

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2021年1月12日、カターレ富山に完全移籍により加入した[5]。 開幕スタメンを獲得し、レギュラーとして出場をした。

2022年11月7日、同シーズン限りでの現役引退が発表された[6][7]。 同年11月20日、ホーム最終戦後には引退セレモニーが予定されていたが、本人体調不良のため中止となった[8]

エピソード

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  • 趣味は釣りで、同じく釣り好きの本田拓也と釣りに出掛けることが多い。また2015年まで在籍していた川崎では釣り部の一員として田坂祐介小宮山尊信實藤友紀などと活動を続けた[9]
  • 幼少時代まで様々なスポーツを経験したが、本格的にサッカーを始めたのは帝京第三高校に入学した15歳の頃[10]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 浦和 31 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 16 J2 7 0 1 0 2 0 10 0
2001 J1 21 0 2 0 4 0 27 0
2002 1 5 0 6 0 0 0 11 0
2003 16 0 0 0 0 - 0 0
鹿島 32 0 0 0 0 0 0 0 0
2004 清水 16 27 0 6 0 0 0 33 0
2005 21 29 0 7 0 5 0 41 0
2006 34 0 4 0 3 0 41 0
2007 33 0 4 0 2 0 39 0
2008 21 0 8 0 2 0 31 0
2009 14 0 2 0 4 0 20 0
2010 32 0 8 0 2 0 42 0
2011 湘南 J2 38 0 - 0 0 38 0
2012 川崎 J1 28 0 3 0 0 0 31 0
2013 23 0 3 0 2 0 28 0
2014 20 0 1 0 1 0 22 0
2015 11 0 3 0 2 0 16 0
2016 清水 1 J2 6 0 - 0 0 6 0
2017 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2018 0 0 6 0 2 0 8 0
2019 14 0 4 0 3 0 21 0
2020 1 0 0 0 - 1 0
2021 富山 J3 26 0 - 2 0 28 0
2022 21 5 0 - 0 0 5 0
通算 日本 J1 313 0 67 0 32 0 412 0
日本 J2 51 0 1 0 2 0 54 0
日本 J3 31 0 - 2 0 33 0
総通算 395 0 68 0 36 0 499 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2014 川崎 21 8 0
通算 AFC 8 0

代表歴

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脚注

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  1. ^ 西部洋平選手の契約満了に伴う来季契約非更新について 清水エスパルスオフィシャルウェブサイト、2010.12.6
  2. ^ 清水エスパルス 西部洋平選手 移籍加入のお知らせ 湘南ベルマーレオフィシャルウェブサイト、2011.1.5
  3. ^ 西部洋平選手(川崎フロンターレ) 完全移籍にて加入決定のお知らせ 清水エスパルス公式サイト 2015年12月16日
  4. ^ 西部洋平選手移籍のお知らせ 川崎フロンターレ公式サイト 2015年12月16日
  5. ^ 西部洋平選手 清水エスパルスより完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)カターレ富山、2021年1月12日https://www.kataller.co.jp/all/press-release/nishibein/2021年1月13日閲覧 
  6. ^ 西部 洋平選手 現役引退のお知らせ”. カターレ富山公式ウェブサイト. 2022年11月7日閲覧。
  7. ^ 富山GK西部洋平が24年目で現役引退「決してエリート街道を歩んできたプレーヤーではありません」”. ゲキサカ. 2022年11月7日閲覧。
  8. ^ 富山がGK西部洋平の引退セレモニー中止を発表”. ゲキサカ (2022年12月20日). 2023年1月3日閲覧。
  9. ^ 【#オフログ】釣り部の西部洋平、ブルーギルのルアーを購入 川崎フットボールアディクト、2015.9.10
  10. ^ 高校からサッカーを始めたJリーガー。西部洋平(川崎フロンターレ

関連項目

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外部リンク

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