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西フランク王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西フランク王国
Francie occidentale
フランク王国 843年 - 987年 フランス王国
西フランクの位置
西フランク王国の位置(843年)
公用語 ラテン語
古フランス語
古オック語
ブルトン語
首都 パリ
国王
843年 - 877年 シャルル2世
881年 - 887年カール3世
893年 - 923年シャルル3世
922年 - 923年ロベール1世
986年 - 987年ルイ5世
変遷
ヴェルダン条約 843年8月10日
メルセン条約870年8月8日
リブモント条約880年
カロリング朝断絶987年5月21日
カペー朝フランス王国成立987年7月3日
通貨ソリドゥス
フランスの歴史
フランス国章
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年表

フランス ポータル

西フランク王国(にしフランクおうこく、ラテン語: Francie occidentaleドイツ語: Westfrankenreich)は、西ヨーロッパにかつて存在した王国843年 - 987年)である。フランス王国の原型にあたる。

歴史

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カール大帝が西ヨーロッパを統一したフランク王国も、大帝の死後は早くから内部紛争により国家分裂の危機が生じていた。帝国分裂を防ぐため、度々帝国整理令が出されるが効果は上がらず、843年、皇帝ルートヴィヒ1世(ルイ1世)の死後、彼の3人の遺児が帝国を分割統治し、ヴェルダン条約により、正式に帝国は分裂した。帝国西部の旧ローマ属州ガリア地方に西フランク王国が、イタリア半島北部を中心に中部フランク王国(ロタール相続領)が、そして帝国東部のゲルマニア地方に東フランク王国が成立した。

西フランク王国の初代はシャルル2世(カール2世)で、禿頭王とも呼ばれる。地方分権化が進み、王権は当初から弱体で、このことは後のフランス諸王朝の悩み種となる。

987年にルイ5世(ルートヴィヒ5世)が夭折すると、カロリング家シャルルを抑えてカペー家ユーグ・カペーが西フランク王に選出された。これ以後カロリング家からは王位に選出される者が現れなかったため、これをもってカロリング朝は断絶したとみなされている。以後の西フランク王国は歴史学的にはフランス王国と呼ばれる。

歴代国王

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  1. シャルル2世843年 - 877年
  2. ルイ2世877年 - 879年
  3. ルイ3世879年 - 882年、カルロマン2世と共同統治)
  4. カルロマン2世879年 - 884年、882年までルイ3世と共同統治)
  5. カール3世884年 - 887年
  6. ウード888年 - 898年、893年からシャルル3世と共同統治)
  7. シャルル3世893年 - 923年、898年までウードと共同統治)
  8. ロベール1世922年 - 923年
  9. ラウール923年 - 936年
  10. ルイ4世936年 - 954年
  11. ロテール954年 - 986年
  12. ルイ5世986年 - 987年

関連項目

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