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藤森英二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤森英二
ふじもり えいじ
生年月日 1932年7月25日
出生地 日本の旗 日本 長野県諏訪市
没年月日 (2018-04-04) 2018年4月4日(85歳没)
死没地 日本の旗 日本 福島県郡山市
出身校 明治大学商学部卒業
前職 郡山市保健衛生部長
所属政党 無所属
称号 正五位
旭日小綬章

当選回数 3回
在任期間 1993年 - 2005年4月26日
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藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年昭和7年〉7月25日[1] - 2018年平成30年〉4月4日[2][3][4])は、日本政治家郡山市長(3期)を務めた。

略歴

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長野県諏訪市出身[4]福島県立安積高等学校卒業[4]

1955年(昭和30年)明治大学商学部卒業[1]。同年郡山市役所に入り、総務部長、保健衛生部長などを歴任する[3]

1989年郡山市長選挙

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1989年(平成元年)の市長選に立候補したが、この時は現職の青木久に敗れた[5]


※当日有権者数:-人 最終投票率:71.27%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
青木久66-74,053票48.4%-
藤森英二56-73,188票47.8%-
渡辺昭好48-5,851票3.8%-

1993年郡山市長選挙

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1993年(平成5年)の市長選に社会党日本新党の推薦を受けて立候補して、自民党前県議の新人を破って初当選する[6][7]


※当日有権者数:-人 最終投票率:67.55%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
藤森英二60無所属88,395票58.4%社会・日本新推薦
柳沼秀雄56無所属62,911票41.6%-

1997年(平成9年)郡山市を東北初の中核市に移行させる[3][4]

1997年郡山市長選挙

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同年の市長選で新人2人を破って再選を果たした[8]


※当日有権者数:-人 最終投票率:57.75%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
藤森英二64-86,469票63.0%-
溝井康之56-44,302票32.3%-
森谷稔42-6,473票4.7%-

2001年(平成13年)長年の懸案だった郡山駅西口再開発事業でビッグアイを建設。

2003年(平成15年)日東紡績郡山第一工場跡地に21世紀記念公園麓山の杜を建設。

2005年(平成17年)4月26日に郡山市長を退任した[9]。そのほか、全国市長会副会長、県市長会長、日本下水道協会副会長、日本土地区画整理協会副会長、全国水防管理団体連合会副会長、全国都市公園整備促進協議会副会長なども歴任[4]

2010年(平成22年)春の叙勲で旭日小綬章を受賞。

2018年(平成30年)老衰のため郡山市内の特別養護老人ホームで死去、85歳[3]。死没日をもって正五位に叙される[10]

脚注

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  1. ^ a b 『新訂 現代政治家人名事典』469頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、62頁。
  3. ^ a b c d “藤森元郡山市長が死去 市政3期12年、東北初の中核市移行など”. 福島民友. (2018年4月5日). オリジナルの2018年4月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180405052021/http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180405-258477.php 2018年4月9日閲覧。 
  4. ^ a b c d e 藤森英二元郡山市長死去 85歳」『福島民報』2018年4月5日。オリジナルの2018年4月10日時点におけるアーカイブ。2018年4月9日閲覧。
  5. ^ 月刊社会党 (404) 105コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 野田経済 6月(1540) 37コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 財界ふくしま 22(5) 70コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 社会民主 (505) 63コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 全国市長会ホームページ - 平成17年市長退任状況”. www.mayors.or.jp. 2024年11月1日閲覧。
  10. ^ 『官報』第7262号9頁 平成30年5月15日号

参考文献

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公職
先代
青木久
郡山市長
第12代:1993 - 2005
次代
原正夫