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羽風 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1917年度(八四艦隊案
起工 1918年11月11日
進水 1920年6月21日
竣工 1920年9月16日
その後 1943年1月23日沈没
除籍 1943年3月1日
要目
排水量 基準:1,215トン
公試:1,345トン
全長 102.6メートル
全幅 8.92メートル
吃水 2.79メートル
機関 ロ号艦本式缶4基
パーソンズタービン2基2軸
38,500馬力
速力 39ノット
航続距離 14ノットで3,600カイリ
燃料 重油:395トン
乗員 154名
兵装 45口径12cm単装砲4門
6.5mm単装機銃2挺
53.3cm連装魚雷発射管3基
(魚雷8本)
一号機雷16個

羽風(はかぜ)は、日本海軍駆逐艦峯風型の7番艦である。艦名は鳥等が飛び立つ際に生じる風、舞う人の袖から生じる風の雅称を意味する[要出典]

艦歴

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三菱長崎造船所で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。

1933年(昭和8年)3月3日に発生した昭和三陸地震のとき、「羽風」は第四駆逐隊に属して青森県の大湊要港部にあり、僚艦とともに出動した。「羽風」は岩手県の大槌で救援にあたった[1]

日中戦争に際して、1938年(昭和13年)以降、華中の沿岸作戦に参加する。

太平洋戦争では南方で海上護衛、輸送作戦に参加した。

1942年7月14日、「富士山丸」と「鳴戸」を護衛して横須賀入港[2]。7月17日、横須賀発[2]。サイパン、父島と入港の後、8月2日に「りおん丸」を護衛してサイパンに到着[2]。8月3日にサイパンを離れ、8月8日にラバウル着[2]

1943年(昭和18年)1月23日、ラバウルに向かう「あきつ丸」を護衛中、カビエン南西で米潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃を受け沈没。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』225-226頁及び『官報』による。

艤装員長
駆逐艦長

脚注

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  1. ^ 伊藤大介「昭和三陸津波と軍隊」218頁、山本和重・編『北の軍隊と軍港』(地域の中の軍隊1 北海道・東北)、吉川弘文館、2015年。
  2. ^ a b c d 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、102ページ
  3. ^ 『官報』第2321号、大正9年4月30日。
  4. ^ a b 『官報』第2391号、大正9年7月21日。
  5. ^ 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  6. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  7. ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  8. ^ 『官報』第3675号、大正13年11月21日。
  9. ^ 『官報』第3926号、大正14年9月24日。
  10. ^ 『官報』第4288号、大正15年12月8日。
  11. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  12. ^ a b 『官報』第414号、昭和3年5月17日。
  13. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  14. ^ 『官報』第1042号、昭和5年6月21日。
  15. ^ a b 『官報』第1682号、昭和7年8月8日。
  16. ^ 『官報』第1765号、昭和7年11月16日。
  17. ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  18. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第30号 昭和12年8月18日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072200 
  19. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第81号 昭和12年10月26日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072400 
  20. ^ 海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  21. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第145号 昭和13年3月7日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073500 
  22. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第204号 昭和13年7月2日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  23. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第267号 昭和13年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  24. ^ 海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  25. ^ 海軍辞令公報(部内限)第555号 昭和15年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 

参考文献

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