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第32回天皇杯全日本サッカー選手権大会

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第32回天皇杯全日本サッカー選手権大会
開催国 日本の旗 日本
開催期間 1952年5月3日-5月6日
参加チーム数 15
優勝 全慶應
準優勝 大阪クラブ
試合総数 15
ゴール数 56 (1試合平均 3.73点)
1951
1953
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第32回天皇杯全日本サッカー選手権大会(だい32かいてんのうはいぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)は、1952年昭和27年)5月3日から5月6日まで静岡県藤枝市静岡県立藤枝東高校グラウンドにおいて開催された天皇杯全日本サッカー選手権大会である。

概要

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本大会には15チームが参加。前回優勝(慶應BRBとして)の全慶應と開催地の志太サッカーが協会推薦を受けた[1]

決勝は全慶應と大阪クラブという前回と同じ顔合わせになった。全慶應は前半のうちに4-0と大差をつけ、後半も得点を重ねて一時は6-0とした。試合終盤に大阪クラブも2点を挙げたが、6-2で全慶應が優勝した[1]

出場チーム

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  • 全慶應(協会推薦・前回優勝、初出場)
  • 志太サッカー(協会推薦・開催地、2年ぶり2回目)
  • -(北海道)※未選出
  • 仙台サッカー(東北、2年連続5回目)
  • 全立教(関東、2年連続2回目) - 準々決勝から
  • 明治大学(関東、初出場)
  • 東京教育大学(関東、17年ぶり2回目)
  • 韮葉クラブ(中部、2年連続2回目)
  • 富山サッカー(北陸、2年連続2回目)
  • 刈谷サッカー(東海、3年連続3回目)
  • 大阪クラブ(関西、2年連続2回目)
  • 関学クラブ(関西、22年ぶり3回目)
  • 六甲クラブ(関西、初出場)
  • 東洋工業(中国、3年ぶり2回目)
  • 松山クラブ(四国、初出場)
  • 島原クラブ(九州、初出場)

結果[1]

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1回戦準々決勝準決勝決勝
 
              
 
1952年5月3日
 
 
全慶應4
 
1952年5月4日
 
仙台サッカー0
 
全慶應3
 
1952年5月3日
 
東洋工業0
 
東洋工業3
 
1952年5月5日
 
六甲クラブ2
 
全慶應1
 
 
 
関学クラブ0
 
全立教
 
1952年5月4日
 
北海道(棄権)
 
全立教0
 
1952年5月3日
 
関学クラブ1
 
刈谷サッカー0
 
1952年5月6日
 
関学クラブ2
 
全慶應6
 
1952年5月3日
 
大阪クラブ2
 
志太サッカー3
 
1952年5月4日
 
富山サッカー0
 
志太サッカー3
 
1952年5月3日
 
松山クラブ0
 
松山クラブ(抽選)2 (aet)
 
1952年5月5日
 
明治大学2
 
志太サッカー1
 
1952年5月3日
 
大阪クラブ3 3位決定戦
 
東京教育大学6
 
1952年5月4日 1952年5月6日
 
韮葉クラブ0
 
東京教育大学1 関学クラブ5
 
1952年5月3日
 
大阪クラブ2 (aet) 志太サッカー0
 
島原クラブ0
 
 
大阪クラブ4
 

決勝戦メンバー

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全慶應[1] 大阪クラブ[2]
Pos. 選手 Pos. 選手
GK 津田幸男 GK 岸本
FB 土井田宏之 FB 山形
FB 北島秀夫 FB 木下
HB 荒川達 HB 笠原
HB 長竹義広 HB 加藤
HB 松沢駿介 HB 南木
FW 則武謙 FW 賀川浩
FW 鈴木徳衛 FW 賀川太郎
FW 二宮洋一 FW 岩谷俊夫
FW 早川(小林)忠生 FW 川本泰三
FW 重松良典 FW 和田

出典

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  1. ^ a b c d 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (7)」『サッカーマガジンベースボール・マガジン社、1968年8月号、112-113頁。
  2. ^ 鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年。

参考資料

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外部リンク

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