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笠原俊一

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笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年大正15年)11月21日[1][2] - 2007年平成19年)4月8日[3])は、昭和戦後から平成期の地方公務員政治家長野県諏訪市長。

来歴

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現在の諏訪市出身[2][4]。1943年(昭和18年)12月、岡谷工業学校(現長野県岡谷工業高等学校)卒業[1][2][4]。1944年(昭和19年)近藤製作所(のち浅野航空)に入社[1]。1945年(昭和20年)応召し、復員後は職場が解散したため農業に従事[1]。1951年(昭和26年)7月、中洲村役場に入り[1][2]、諏訪市合併後、1967年(昭和42年)財政課長、1979年(昭和54年)助役を歴任[1][2][4]

1983年(昭和58年)5月、諏訪市長選挙に当選し[1][2][4]、1999年(平成11年)5月まで4期務めて引退[2]。在任中は工場立地の適正化や道路交通網の整備に尽力した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長 第2巻』273頁。
  2. ^ a b c d e f g 『新訂 現代政治家人名事典』136頁。
  3. ^ 諏訪この1年 2007(H19) 信州・市民新聞グループ
  4. ^ a b c d 『長野県風土記』578頁。

参考文献

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  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
  • 宝月圭吾編『長野県風土記』旺文社、1986年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典:中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。