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神奈川臨海鉄道

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神奈川臨海鉄道株式会社
Kanarin Ltd.
種類 株式会社
略称 かなりん
本社所在地 日本の旗 日本
210-0007
神奈川県川崎市川崎区駅前本町11番地2 川崎フロンティアビル7階
北緯35度31分53.7秒 東経139度41分57.2秒 / 北緯35.531583度 東経139.699222度 / 35.531583; 139.699222座標: 北緯35度31分53.7秒 東経139度41分57.2秒 / 北緯35.531583度 東経139.699222度 / 35.531583; 139.699222
設立 1963年6月1日
業種 陸運業
法人番号 1020001072440 ウィキデータを編集
事業内容 鉄道事業、倉庫業、不動産賃貸業
代表者 代表取締役社長 飯田 聡
資本金 13億7650万円
(2019年3月31日現在)[1]
発行済株式総数 275万3000株
(2019年3月31日現在)[1]
売上高 32億9648万4000円
(2019年3月期)[1]
営業利益 2億8425万7000円
(2019年3月期)[1]
純利益 1億9179万1000円
(2019年3月期)[1]
純資産 74億5437万1000円
(2019年3月31日現在)[1]
総資産 87億9432万5000円
(2019年3月31日現在)[1]
従業員数 347名(2019年4月現在[2]
決算期 3月31日
主要株主 日本貨物鉄道 39.45%
横浜市 21.79%
神奈川県 14.53%
JXTGエネルギー 7.37%
JFEスチール 1.89%
(2018年3月31日現在[3]
主要子会社 神奈川臨海通運株式会社
株式会社リンカイツーリスト(2018年12月に解散)
外部リンク http://www.kanarin.co.jp/
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DD60形牽引の千鳥線の化成品輸送列車

神奈川臨海鉄道株式会社(かながわりんかいてつどう)は、神奈川県川崎市横浜市鉄道貨物輸送を行う鉄道事業者日本貨物鉄道(JR貨物)などが出資する臨海鉄道会社のひとつである。略称は「かなりん」。本社は川崎市川崎区にある。

概要

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川崎市の臨海部に設けられた東海道貨物線の塩浜操駅(現在の川崎貨物駅)を拠点として沿線の企業の貨物輸送を行うために1963年に設立された。旧国鉄国鉄分割民営化後はJR貨物)と沿線の自治体・企業などが出資する、港湾地区の貨物輸送を目的とした第三セクター方式の鉄道事業者を特に臨海鉄道といい、その臨海鉄道会社としては京葉臨海鉄道に次いで2番目に設立されたものである[4]

川崎市にある千鳥線浮島線では化成品石油製品などの車扱貨物を中心に、横浜市にある本牧線では20フィート・40フィート海上コンテナを中心に取り扱っている。1995年からはJR武蔵野線梶ヶ谷貨物ターミナル駅から浮島線末広町駅まで川崎市の一般廃棄物輸送列車「クリーンかわさき号」を運行している。かつては他に川崎市に水江線を持っていたが、接続する専用線がすべて廃止されたため、末期は実質的に非営業線となっていた。

開業当初より、自社線の運輸営業のほかにJR貨物の貨物駅などの現業機関の業務受託を行っており、これまでに川崎貨物駅、根岸駅浜川崎駅、梶ヶ谷貨物ターミナル駅、八王子総合鉄道部横浜羽沢駅相模貨物駅の構内入換、また新鶴見信号場新鶴見機関区、新鶴見機関区川崎派出、川崎車両所、川崎車両所塩浜派出で貨車の検査などの一部業務を受託している。 また安善駅構内扱いのアメリカ海軍鶴見貯油施設から拝島駅を経由してアメリカ空軍横田基地への通称「米タン」輸送の、双方の駅から関連施設までの一連の作業を受託して行っている(JR貨物は本務機・入換機の機関車の充当と運転を担当)。

鉄道業のほかには、倉庫業や貸しビルなどの不動産賃貸業も行っている。また、グループ会社として陸運業の神奈川臨海通運が存在する。

歴史

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  • 1963年(昭和38年)
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月25日 - 国鉄塩浜操駅開業。同時に水江線、千鳥線、浮島線開業。当初11社の既存専用線と接続[6]。他に味の素株式会社川崎工場専用線(同日より塩浜操駅で国鉄線接続)の運転担当開始。国鉄塩浜操駅の業務受託開始。
    • 3月26日 - 3社の新規専用線と接続。
    • 11月10日 - 同日開業した日本鋼管株式会社京浜製鉄所専用鉄道塩池線(塩浜操駅で国鉄線接続)の運転担当開始。
    • 12月25日 - 本社を川崎区駅前本町1番3号に移転。
  • 1965年(昭和40年)
    • 2月26日 - 神奈川臨海通運株式会社設立。
    • 7月1日 - 同日開業した国鉄山下埠頭駅と横浜市営公共臨港線の業務受託開始。
  • 1967年(昭和42年)11月15日 - 倉庫営業開始。当初は野積場での営業。
  • 1968年(昭和43年)8月23日 - 本牧線の地方鉄道免許取得。
  • 1969年(昭和44年)
    • 7月1日 - 運賃(国鉄線との連絡運輸)を併算制から通算制に改正。運賃計算キロに擬制キロを導入[7]
    • 8月10日 - 自社所有の塩浜倉庫竣工。倉庫業に供する。
    • 10月1日 - 本牧線開業[8][9]
  • 1970年(昭和45年)
    • 5月1日 - 本牧埠頭駅の貨物一時保管施設が使用開始。
    • 6月5日 - 本社を川崎区砂子1丁目8番1号に移転。
  • 1973年(昭和48年)9月1日 - 株式会社神奈川臨海鉄道ツーリスト設立(1989年5月25日株式会社リンカイツーリストに商号変更)。
  • 1975年(昭和50年)8月4日 - 神奈川臨海鉄道労働組合結成(同年9月7日神奈川臨海鉄道職員協議会結成、1979年7月28日両者統合し神奈川臨海鉄道職員組合結成)[10]
  • 1979年(昭和54年)10月1日 - 日本鋼管株式会社京浜製鉄所(川崎区池上町・水江町)への専用線は水江町駅接続に変更。塩池線は休止(1981年11月27日廃止[11])。奥多摩駅大叶駅発、同製鉄所向けの石灰石輸送列車は水江線経由に変更。
  • 1986年(昭和61年)
    • 11月1日 - 国鉄塩浜操駅のヤード作業廃止。構内入換など同駅の業務量が激減。
    • 12月12日 - 蒸気機関車C56 139号機を保存車として国鉄から購入[12]
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月28日 - 旧・山下埠頭駅(1986年11月1日駅廃止、以後は東高島駅構外側線)が最終的廃止。
    • 4月6日 - 本牧操駅に輸入麦芽積み込み設備が完成。国鉄山下埠頭駅の廃止代替施設。麒麟麦酒株式会社向けの麦芽輸送開始[13]
  • 1988年(昭和63年)3月13日 - 日本鋼管株式会社京浜製鉄所専用線が廃止。石灰石輸送の廃止により輸送量が激減。
  • 1989年(平成元年)
    • 4月26日 - 本牧操駅発着の20フィート海上コンテナ輸送開始。
    • 12月31日 - 最後の水江線接続専用線であったコスモ石油株式会社川崎油槽所専用線が廃止。
  • 1990年(平成2年)3月10日 - 塩浜操駅を川崎貨物駅に、本牧操駅を横浜本牧駅に改称。
  • 1995年(平成7年)10月6日 - 梶ヶ谷貨物ターミナル駅発、末広町駅着の一般廃棄物輸送開始。
  • 1997年(平成9年)3月31日 - 味の素株式会社川崎事業所専用線が廃止。
  • 1998年(平成10年)
    • 2月1日 - 横浜本牧駅発の麦芽輸送が廃止[14]
    • 3月23日 - 横浜本牧駅発着の40フィート海上コンテナ輸送開始。
    • 12月22日 - 初の自社施工全般検査となったDD5517号機が検査竣工。
  • 1999年(平成11年)4月1日 - JR貨物から川崎車両所の検査業務の一部を受託[15]。同所内に塩浜機関区川崎車両所分室を設置[15]
  • 2000年(平成12年)
    • 2月1日 - 横浜本牧駅構内に保税蔵置場を設置。日本の鉄道駅構内としては初。
    • 4月1日 - 神奈川臨海通運株式会社の倉庫業を移管、直営化。
  • 2001年(平成13年)4月1日 - 塩浜機関区川崎車両所分室が塩浜機関区より独立し、川崎車両事業所となる[15]。JR貨物から川崎貨車区の貨車交番検査等の業務の受託を開始し、川崎車両事業所貨車派出を設置[15]
  • 2002年(平成14年)8月1日 - ウェブサイト開設[16]
  • 2005年(平成17年)8月 - 本牧線開業以来続いてきた国際埠頭株式会社専用線発の工業塩輸送が廃止。横浜本牧駅構外側線の使用休止。
  • 2013年(平成25年)6月 - 使用休止として残されていた国際埠頭株式会社専用線が、横浜港臨港道路南本牧ふ頭本牧線の高架部工事のため撤去される[17]
  • 2017年(平成29年)9月30日 - 水江線廃止[18]
  • 2018年(平成30年)12月31日 - 関連会社の株式会社リンカイツーリストが解散[19]

路線

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本牧線は自社線のみで千鳥線・浮島線および廃止された水江線と繋がっておらず、行き来する場合はJR東日本の東海道貨物線・高島線根岸線を介する必要がある。

廃止路線

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千鳥線・浮島線・水江線路線図
本牧線路線図

車両

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保有車

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神奈川臨海鉄道のディーゼル機関車
車番 入籍 除籍
DB15形
DB151 1964年5月 1972年度
DB25形
DB251 1965年4月 1979年6月4日
DD45形
DD451 1963年10月 1985年4月1日
DD452 1963年10月 1983年10月15日
DD55形
DD551 1963年10月 1986年11月1日
DD5511 1963年10月 1977年9月12日
DD552 1964年10月 1985年4月1日
DD553 1965年9月 1987年3月1日
DD554 1967年6月 1992年11月30日
DD555 1967年12月 1992年11月30日
DD556 1968年6月 1987年12月31日
DD557 1969年10月 1989年3月31日
DD558 1970年9月 1994年3月30日
DD559 1972年4月 2002年3月31日
DD5510 1973年11月 2002年3月31日
DD5512 1974年7月 2005年10月30日
DD5513 1975年10月 2005年5月26日
DD5514 1976年8月
DD5515 1977年9月 2008年
DD5516 1979年3月
DD5517 1981年11月
DD5518 1992年8月1日
DD5519 1994年1月24日
DD56形
DD561 1965年7月 1983年10月15日
DD60形
DD601 2005年3月24日
DD602 2006年8月14日
DD603 2014年

保有車両は全車がディーゼル機関車で、開業以来すべて新製車で賄っている。2013年現在は2形式が在籍する。

車体塗色は、当初は赤茶色をベースにクリーム色の太い横帯を配したものであった。1992年新製のDD5518号機より青地にクリーム色の新塗装を採用し、既存車については後述する自社全検施工時に同じ塗装に改められ[21]、旧塗装は2005年までに全廃された。DD60形は、それまでのDD55形とはやや異なる塗装で登場し、DD55形も順次同様の塗装に改められている。

DB15形
開業直後に1両が購入された小型機。2動軸、自重 15 t。使用10年を経ずして除籍された。
DB25形
開業翌年に1両が購入された。2動軸、自重 25 t、定格出力 180 PS富士重工業製。末期は国鉄山下埠頭駅で使われていたが、業務量の増加に伴い同駅の仕業をDD45形に置き換えられ[22]廃車
DD45形
開業時に2両が用意された。4動軸 (B-B)、自重 45 t、定格出力 600 PS、富士重工業製。同じく1963年富士重工業製の小名浜臨港鉄道[23]DD45形DD451号機[24]は同型機である。1980年代の国鉄の貨物縮小で真っ先に廃車となった。
DD55形
19両が製造された主力車種。4動軸 (B-B)、自重 55 t、定格出力 1,000 PS、国鉄DD13形と類似の機関車であるが同型ではない。他の臨海鉄道会社の自社発注機に多くの同型機がいる。DD5511は同一形式に編入されてはいるが仕様が大きく異なる。DD551は汽車製造製、その他の17両は富士重工業製。初期の車両は廃車が進んでいる。1990年代に初期車の老朽取替用に導入されたDD5518・DD5519の2両は直噴エンジンとなった[25]
  • DD5511 - 開業時に購入された東急車輛製造製の試作機関車。定格出力 1,250 PS。使用14年でDD5515に置き換えられ廃車となった。
DD56形
山下埠頭駅の開業時に市営公共臨港線の入換用として横浜市が用意した機関車で、横浜市からの借用機であった。こちらは国鉄DD13形の同型機である。4動軸 (B-B)、自重 56 t、定格出力 1,000 PS、日本車輌製造製。本牧線の開業に際して同線に転属した。DD452と同時に廃車。
DD60形
DD55形初期車の老朽取替用として導入が始まった新型機。4動軸 (B-B)、自重 60 t、定格出力 1,120 PS、日本車輌製造製。現在は3両が在籍する。

譲渡車

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廃車後、社外に譲渡されたディーゼル機関車は以下の通り。

  • DD554 - 1992年12月に真岡鐵道に譲渡されDD1355へ改番し、「SLもおか」(1994年運転開始)の補助機関車・回送用に使用された。元JR東日本DE10 1535号機の入線に伴い、2004年11月にさよなら運転を行って廃車、同月解体[26]
  • DD555 - 1992年12月に東急車輛製造横浜製作所に譲渡され、元国鉄DD11 9号機の代機として[27]入換・搬出入用に使用。2008年廃車。
  • DD5512 - 2006年にインドネシア運輸省に移管され、ジャティバランに駐留し、ジャワ北部とテガル - プルプクルート間に複線を建設するために使用された。2015年にアンバラワ鉄道博物館に保存された[28]
  • DD5515 - 上記DD555号機の代機として、2008年8月に東急車輛製造横浜製作所に譲渡。

保存車

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廃校になった中央鉄道学園静態保存されていた国鉄C56形蒸気機関車C56 139号機を1986年12月12日に国鉄から購入し[12]、横浜本牧駅の機関車庫内[29]で静態保存している。地元のボランティアによって清掃・整備が続けられ、美しい状態が保たれているという[29]。非公開での保存だが、2013年5月26日の神奈川臨海鉄道創立50年イベントにおいて公開され、ディーゼル機関車による牽引運転の際には、煙の演出を行い、午前と午後の2回に分けて横浜本牧駅構内を往復運転した。

車両基地

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本牧線派出のものを含む全ディーゼル機関車は、川崎貨物駅構内に所在する塩浜機関区に所属する(一部車両は派出する形で横浜機関区に所属)。 1998年より機関車の全般検査の実施主体を自社とし、塩浜機関区において施行している[30][31]

それまで全般検査業務は、塩浜機関区近くに所在する森工業に委託していた[32]。機関区敷地とは道路を挟んで隣接する立地であったものの線路は接続しておらず(森工業は工場敷地内にのみ線路を敷設)[32]、入出場時はクレーン・トレーラー等を使用して機関車を搬入出していた[33]。また、全般検査の実施主体を自社として以降も、検査時に取り外したエンジン・変速機・輪軸等の主要機器・部品類の整備は、専門業者への委託を行っている[34][35][36]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 平成30年度決算公告”. 神奈川臨海鉄道株式会社. 2019年7月25日閲覧。
  2. ^ 会社概要 - 神奈川臨海鉄道
  3. ^ 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成30年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会
  4. ^ 営業局事業調査課 松江光信「(V)臨港線 1.国鉄が出資する臨海鉄道について」『停車場技術講演会記録 第14回』日本国有鉄道建設局、1963年11月、69-74頁。doi:10.11501/3454488https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3454488/45 
  5. ^ 地方鉄道業免許について」『運輸公報』733号、1963年10月29日、494頁。doi:10.11501/9645738https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9645738/3 
  6. ^ 神奈川臨海鉄道の発足」『車輛工学』 33巻、4(354)、1964年4月、21頁。doi:10.11501/3270750https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3270750/12 
  7. ^ 『神奈川臨海鉄道30年史』 p.24-25
  8. ^ 「神奈川臨海鉄道本牧線が開通」『交通新聞』交通協力会、1969年10月2日、1面。
  9. ^ 44年鉄道回顧 10月1日」『汎交通』 70巻、1号、1970年1月、61頁。doi:10.11501/2793173https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2793173/32 
  10. ^ 『創業20年のあゆみ』 p.71
  11. ^ 『創業20年のあゆみ』 p.21
  12. ^ a b 『神奈川臨海鉄道30年史』 p.176
  13. ^ 『神奈川臨海鉄道30年史』 P.80-81
  14. ^ 『創業40年を迎えて』 p.135
  15. ^ a b c d 神奈川臨海鉄道株式会社 「かなりんトピックス - 職場紹介 川崎車両事業所」(2024年2月26日閲覧)
  16. ^ 『創業40年を迎えて』 p.138
  17. ^ 国土交通省関東地方整備局京浜港湾事務所
  18. ^ 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成29年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.13
  19. ^ 株式会社 リンカイツーリスト - 2019年2月13日閲覧
  20. ^ a b c 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成18年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.120
  21. ^ 『神奈川臨海鉄道30年史』 p.87
  22. ^ 『創業20年のあゆみ』 p.10
  23. ^ 1967年福島臨海鉄道に社名変更。
  24. ^ 1974年近江鉄道に譲渡。
  25. ^ 『創業40年を迎えて』 p.6
  26. ^ DD13形ディーゼル機関車について - 芳賀路の汽笛
  27. ^ 東京工業大学鉄道研究部「1992年度下半期(1992.10.1〜1993.3.31) 私鉄車両のうごき」 『鉄道ジャーナル』1993年11月号(通巻325号)p.140
  28. ^ DD5512: Lokomotif Jepang yang Penuh Misteri” (インドネシア語). redigest.web.id (2016年5月16日). 2022年1月26日閲覧。
  29. ^ a b 『創業40年を迎えて』 p.53
  30. ^ 鉄道ダイヤ情報』1999年3月号(No.179)p.25
  31. ^ 鉄道ピクトリアル』2003年11月号(No.739)p.33
  32. ^ a b 藤岡雄一「臨海鉄道を楽しむ」『鉄道ピクトリアル』1993年3月号(No.572)pp.18-23
  33. ^ 『トワイライトゾーン・メモリーズ 1』 ネコ・パブリッシング、2005年、pp.224-225・p.288
  34. ^ 「編集部が訪問 DD601の全般検査に密着! - 前編 - 神奈川臨海鉄道株式会社 塩浜機関区」『鉄道ファン』2020年5月号(No.709)pp.72-77
  35. ^ 「編集部が訪問 DD601の全般検査に密着! - 後編 - 神奈川臨海鉄道株式会社 塩浜機関区」『鉄道ファン』2020年8月号(No.712)pp.76-81
  36. ^ 明希工業株式会社公式サイト掲載『主要取引先』『明希工業のサービス - 気動車とディーゼル機関車』(2023年12月25日閲覧)

参考文献

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  • 神奈川臨海鉄道株式会社総務部編さん『創業10年のあゆみ』神奈川臨海鉄道、1973年。 
  • 神奈川臨海鉄道株式会社企画部編さん『創業15年のあゆみ』神奈川臨海鉄道、1978年6月。doi:10.11501/11955674 
  • 神奈川臨海鉄道株式会社企画部編さん『創業20年のあゆみ』神奈川臨海鉄道、1983年6月。doi:10.11501/11955702 
  • 神奈川臨海鉄道株式会社社史編集委員会編纂『神奈川臨海鉄道30年史』神奈川臨海鉄道、1993年6月。doi:10.11501/13098710 
  • 神奈川臨海鉄道株式会社社史編集委員会編纂『創業40年を迎えて: 最近10ヵ年のあゆみ』神奈川臨海鉄道、2003年。 

関連項目

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外部リンク

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