無罪モラトリアム
『無罪モラトリアム』 | ||||
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椎名林檎 の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
スタジオテラ 亀ちゃんスタジオBメイン | |||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | 東芝EMI/イーストワールド | |||
プロデュース | 北城浩志 | |||
チャート最高順位 | ||||
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ゴールドディスク | ||||
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椎名林檎 アルバム 年表 | ||||
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EANコード | ||||
EAN 4988006158429 | ||||
『無罪モラトリアム』収録のシングル | ||||
『無罪モラトリアム』(むざいモラトリアム;英題:Muzai Moratorium、Innocence Moratorium[1])は、1999年2月24日に東芝EMIより発売された日本のシンガーソングライター・椎名林檎の1作目のスタジオ・アルバム。
約1年半チャートインし続けるというロングヒットを記録。最終的には170万枚を超える売上を記録し、ミリオンセラーとなった。
概要
[編集]同年1月に発表された先行シングル『ここでキスして。』がスマッシュヒットを記録する中で発売された本作は、その影響を受ける形で約1年半チャートインし続けるというロングヒットを記録。最終的には売上170万枚を超えるミリオンセールスを達成した[2][3]。
本作は椎名が高校時代からデビュー前までの十代のころに書き溜めていた楽曲で構成されており、楽曲ごとに編成された数種類のバンドによってレコーディングされている[注 1][5]。歌謡曲、パンク、グランジ、ジャズなど過去から発売当時までのポップ・ミュージックを折衷した楽曲が並び、そのオルタナティブなサウンドとキャッチーなメロディ、そして文学的かつ刺激的な歌詞により、同年代に限らない幅広い層のリスナーを獲得した[6]。
本作の楽譜は数多くのバンドスコアを出版しているリットーミュージックにおけるロングセラーであり、1999年のリリースから15年以上経過しても一番人気を保っている[7]。
2008年11月25日にデビュー10周年記念の一環として、本作にリマスタリング処理を施して収録したBOXセット『MoRA』と、本作のアナログ盤が発売された[8]。
初回生産盤は特殊ブックレット仕様[注 2] で、特典として抽選でVHSビデオ『性的ヒーリング〜特別御奉仕編〜』が貰える応募券が付けられた[注 3]。
アルバムのコンセプト
[編集]アルバムタイトルには「人として真面目に生きていこうとする以上、社会に適合できないモラトリアムな瞬間はきっと誰にでもあるのだから、自分自身のためにも『それは無罪なんだ』と言いたい」という椎名林檎のメッセージが込められている[9]。タイトルの略称は「無罪」と「モラトリアム」の頭からそれぞれを取り「MM」とされる。
「初めてのアルバムなので昔から歌っていた曲をたくさん入れたい」という椎名の意向もあって11曲の収録曲はすぐに決まり、その結果、「十代の椎名林檎の集大成」のようなアルバムになった[9]。
制作意図としては、歌詞の世界観を表現するというよりも、たとえば音楽をやっているような、聴く人が聴けば「音楽的にはこういう人間だ」とわかるような自分の音楽的な名刺代わりというつもりで作った。自分のやり方を初めて提示するのだからわかりやすいようにあえてデフォルメし、そして自分ひとりで作ったデモとの間に差異が生まれたときは特に気を配って修正をし、音楽的に誤解されないように気をつけたという[10]。
アートワーク
[編集]アルバムのジャケットデザインはアートディレクターの木村豊が手掛けた[11]。アルバムのジャケット写真を自分が完全に浮いてしまっている場所で撮りたいと思っていた椎名は、「裁判所などで弁護士が『無罪』や『勝訴』という文字が書かれた幡(ハタ)を関係者たちに囲まれて掲げているところに自分がポツンといたら面白いのでは」というアイデアを出した。するとデザイナーの木村豊がそれにゴーサインを出し、新聞記者や報道カメラマン、警備員などのエキストラが集められた。また幡の題字は椎名本人によるもの[9][11]。
制作の背景
[編集]楽曲制作の準備に入ると、プロデューサー的役割に移行していた当時の東芝EMIの担当制作ディレクター篠木雅博[注 4] は、自分の代わりに外部から実績のあるディレクターを招聘することにした。しかし作品にはかなりの手直しが必要だという外部ディレクターと、それを断固として拒否する椎名の意見が激しく衝突した。椎名の詞曲にそれまで出会ったことのないほどの違和感を感じていた篠木も外部ディレクターと同意見だったが、自分が年を取って若い人たちの音楽を受け入れられなくなったのかもしれず、その違和感はひょっとしたら大化けの予兆かもしれないとも思った。そして椎名林檎の個性を生かすには、旧来のディレクション方法は無視して自由にやってもらうしかないと判断し、すべてを椎名とアレンジャーおよびベーシストの亀田誠治2人の作業に委ねた。[12][13]
当時、椎名はまだ十代で、デビューしたばかりの自分に十分な予算など与えられないことはわかっていたため、レコーディングはシンプルなバンドサウンドで行うことに決めて、メンバーは椎名の意向を受けた亀田によって集められた[14]。その結果、演奏者と楽曲を信じてアレンジを固めずに自由なセッションで曲を作り上げ、「バンド演奏による一発録り」で現場の空気をそのままパッケージ化する形が取られた[15]。
レコーディングではおもに二つのバンドを編成して曲によって使い分けるという手法を使ったが、それはギタリストのキャラクターが異なることで生じるバンドの違いを出したいと思ったためである。またそれまでずっとバンドでやってきたのでバンドサウンドには一番親しみがあるが、サウンド的にも詞的にもそれだけに狭めずに「何でもあり」という感じにしたかったので、自分が必要性を感じればバンドにこだわらずにストリングスなども入れることにした。[9]
批評
[編集]平山雄一は「この人はバランスなんて全然考えていない。繊細さと猥雑さがごちゃごちゃに混じっている。現実の中に脳内現実が入り込み、更によく見ようとするものだから、かえって現実が鮮明に浮かび出す。そうした作業が歌の中で行われているため、曲の中でボーカルスタイルが分裂し、曲自体は短いのにとてもヘビーな聴き応えがある」「『茜さす 帰路照らされど・・・』は極端。つぶやいたかと思うと、美しく歌い上げる」「『丸の内サディスティック』はBLANKEY JET CITYの浅井健一の使い方に聴きながら笑い出していた」「インスピレーションに富んだフレーズが次から次へと飛び出す。そしてそれらの言葉は彼女の生き方・愛と音楽と自分と闘いながら過ごした10代の足跡と傷跡を臆することなく並べている。悲壮感・押し付けがましさ・自己陶酔はない。バランスを取ることの不必要さに彼女は気づいている。自分の中のグズなところとスピード好み、内省的なところと好戦的志向、表現者をそのまま同居させて1枚のアルバムに仕上げて見せた。虚言癖すれすれのストーリー性も楽しい。まるで悪霊のごとくずらりとオーバーの吊られた新宿の居酒屋で、間もなく有罪の世代になる女に出くわした気分だ。彼女に言ってやろう。『成人式おめでとう』」と賞賛している[16]。
収録曲
[編集]各曲解説
[編集]- 正しい街
- 歌舞伎町の女王
- 丸の内サディスティック
- 2枚目のシングル『歌舞伎町の女王』収録のカップリング曲「実録 -新宿にて- 丸の内サディスティック〜歌舞伎町の女王」で、一部ではあるが既に発表されていた楽曲。なお「丸ノ内サディスティック」と表記されることもある。「丸の内」とは、当時の営団地下鉄(現在の東京メトロ)丸ノ内線のことであり、主要駅が歌詞に登場する。
- この楽曲はデビュー前、椎名がイギリスにホームステイしていた際にミュージックシーケンサーの打ち込みで作られたもので、仮歌詞の段階ではすべて英語であったが、発表するにあたって語感のいい日本語に変えている。歌詞には椎名が尊敬する浅井健一の愛称「ベンジー」が登場するほか、彼の所属していたバンド・BLANKEY JET CITYの楽曲「ピンクの若いブタ」より「ピザ屋の彼女(=ピザ屋の女性店員)」という詞を引用しているとのこと。
- 2009年発表の4作目のアルバム『三文ゴシップ』には、歌詞の大部分を英語に改めた別アレンジの「丸の内サディスティック(EXPO Ver.)」が収録されている。
- ソロ名義のコンサートでの定番曲。またのちに結成したバンド東京事変のコンサートでも頻繁に披露されていたため、そのライブベストアルバム『東京コレクション』にも収録されている。
- 幸福論(悦楽編)
- サントリー「ザ・カクテルバー シェーカー篇」CMソング。
- デビューシングル表題曲「幸福論」のアルバムバージョン。シングルバージョンとは大きくアレンジが異なり、ヴォコーダーを利用した独特のアレンジとなっている。コンサートでもこのバージョンを披露することが多く、その際は拡声器を使用して歌唱している。なお、シングルバージョンは長らくアルバム作品としてまとめられていなかったが、デビュー10周年企画の第3弾として2008年11月25日に発売された『MoRA』の『無罪モラトリアム』(ボーナス・トラック扱い)や、2019年に発売された初のベストアルバム『ニュートンの林檎 〜初めてのベスト盤〜』に収録された[注 5]。
- 茜さす 帰路照らされど・・・
- シドと白昼夢
- 積木遊び
- 椎名曰く「箸休め的なお遊び曲」。この曲で使用されている椎名の演奏による「なんちゃって御琴」とはシンセサイザーで琴の音色を使用したもの(ちなみに椎名は3枚目のアルバムでは本物の琴を弾いている)。ミュージック・ビデオも制作され、『性的ヒーリング〜其ノ壱〜』におまけ映像として収録されている。また、この曲には決められた振り付けがあり、椎名本人がミュージック・ビデオやコンサートでも披露している。この振り付けは、本作のバンドスコアに掲載されている。
- ここでキスして。
- 同じ夜
- アコースティック・ギターとヴァイオリンというシンプルな編成の曲。
- 3枚組シングル集『絶頂集』には、この曲のライブ音源が「Jェチ~ッじo™ウ」として収録されている。
- 警告
- サントリー「ザ・カクテルバー スパークリングキャンペーン篇」CMソング。
- 昔交際していた彼氏への不満を綴った曲。シングルが売れて椎名の知名度が上がったとき、その当時の彼氏が電話してきて何を思ったか「俺が悪かった」と今更ながら謝ってきたので憤慨したと、そのことから製作に至っている。
- モルヒネ
- 19歳のときに制作された曲。
楽曲クレジット
[編集]全作詞・作曲: 椎名林檎、全編曲: 亀田誠治。 | |||
# | タイトル | 演奏 | 時間 |
---|---|---|---|
1. | 「正しい街」 | 絶倫ヘクトパスカル | |
2. | 「歌舞伎町の女王」 | 絶倫ヘクトパスカル | |
3. | 「丸の内サディスティック」 | 絶叫ソルフェージュ | |
4. | 「幸福論(悦楽編)」 | 絶倫ヘクトパスカル | |
5. | 「茜さす 帰路照らされど・・・」 | 桃色スパナ | |
6. | 「シドと白昼夢」 | 絶倫ヘクトパスカル | |
7. | 「積木遊び」 | 桃色スパナ | |
8. | 「ここでキスして。」 | 絶倫ヘクトパスカル | |
9. | 「同じ夜」 | 桃色スパナ | |
10. | 「警告」 | 絶倫ヘクトパスカル | |
11. | 「モルヒネ」 | 桃色スパナ | |
合計時間: |
アナログ盤
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「正しい街」 | |
2. | 「歌舞伎町の女王」 | |
3. | 「丸の内サディスティック」 | |
4. | 「幸福論(悦楽編)」 | |
5. | 「茜さす 帰路照らされど・・・」 | |
6. | 「シドと白昼夢」 |
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
7. | 「積木遊び」 | |
8. | 「ここでキスして。」 | |
9. | 「同じ夜」 | |
10. | 「警告」 | |
11. | 「モルヒネ」 | |
合計時間: |
クレジット
[編集]
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脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ なお3作目のアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』収録曲の「葬列」について、椎名は本作に収録するかどうか迷っていたが、最終的に見送った[4]。
- ^ ブックレットに光沢があり、椎名の写真部分が剥がれる仕組みになっている。また、ブックレットの丸ノ内線の路線図“霞ヶ関”が“霧ヶ関”と誤植されている。
- ^ シングル『ここでキスして。』との連動企画で、帯に付属する応募券を『ここでキスして。』の応募券と一緒に送付すると抽選で貰えた。
- ^ のちに徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長、顧問などを歴任。
- ^ 再発売された12cmシングル盤や、iTunes Storeなどの音楽配信でも入手可能ではあるが、オリジナルアルバムには収録されていない。
- ^ bjorkと誤解されがちだが、bjorkはアイスランド出身。
出典
[編集]- ^ “ALBUM 無罪モラトリアム/椎名林檎”. SR猫柳本線. 2014年11月3日閲覧。
- ^ “国民的歌姫を生んだ98年デビュー組、5人の現在の立ち位置とは”. ORICON NEWS. オリコン (2016年10月2日). 2018年4月15日閲覧。
- ^ “椎名林檎の記事まとめ”. 音楽ナタリー. 2018年4月15日閲覧。
- ^ 『加爾基 精液 栗ノ花』の「葬列」の解説部分を参照。
- ^ “OKAMOTO'SのTIME BOMB(第4回)”. 『bounce』. TOWER RECORDS ONLINE (2011年2月7日). 2018年4月15日閲覧。
- ^ “椎名林檎、デビューから現在に至るその活動をあらためてチェック”. 『bounce』. TOWER RECORDS ONLINE (2016年8月29日). 2018年4月15日閲覧。
- ^ BEHIND THE MELODY〜FM KAMEDA(インタビュアー:亀田誠治)「バンドスコアの作り方 - Guest : 近藤隆久/岡見高秀(リットーミュージック)」『J-WAVE』、2015年4月8日 。2016年8月14日閲覧。
- ^ “椎名林檎の10年を振り返る超豪華リマスタリングBOX”. 音楽ナタリー (2008年9月17日). 2018年4月15日閲覧。
- ^ a b c d 椎名林檎10周年特設サイト『電脳RAT/004「無罪モラトリアム」インタビュー』(インタビュアー:ツダケン)、EMIミュージック・ジャパン、1999年2月20日。オリジナルの2009年5月2日時点におけるアーカイブ 。2016年8月20日閲覧。
- ^ 「椎名林檎」『ROCKIN’ON JAPAN 7月号』第22巻第11号、ロッキング・オン、2008年、54-55頁。
- ^ “【発掘!流行り歌 徒然草】椎名林檎「ここでキスして。」(1999年) 年配には受け入れにくい「違和感」は大化けの予兆 デビュー秘話 (1/2ページ)”. ZAKZAK, 夕刊フジ (2016年6月7日). 2016年8月14日閲覧。
- ^ “【発掘!流行り歌 徒然草】椎名林檎「ここでキスして。」(1999年) 年配には受け入れにくい「違和感」は大化けの予兆 デビュー秘話 (2/2ページ)”. ZAKZAK, 夕刊フジ (2016年6月7日). 2016年8月14日閲覧。
- ^ 椎名林檎(インタビュアー:早川 加奈子)「インタビューファイル」『bounceマガジン』、タワーレコード、2003年2月27日。オリジナルの2003年4月29日時点におけるアーカイブ 。2016年8月14日閲覧。
- ^ 東京事変(インタビュアー:小野田雄)「「閃光少女」インタビュー」『EMIミュージック・ジャパン』、2007年11月21日。オリジナルの2014年7月18日時点におけるアーカイブ 。2018年6月24日閲覧。
- ^ ソニー・マガジンズ刊『WHAT's IN?』1999年3月号「BRAND NEW CD 100」182Pより。
- ^ a b 「特集:椎名林檎「音楽家のタブー」LONG INTERVIEW「音楽は五線譜の外に」」『SWITCH』第27巻第6号、スイッチ・パブリッシング、2009年6月、32-39頁、2018年6月24日閲覧。