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深谷亮司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
深谷 亮司
くふうハヤテベンチャーズ静岡 打撃・野手コーチ #27
2024年3月27日 ちゅ~るスタジアム清水にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県筑後市
生年月日 (1974-12-09) 1974年12月9日(49歳)
身長
体重
179 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手三塁手
プロ入り 2001年 ドラフト13巡目
初出場 2002年4月3日
最終出場 同上
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

深谷 亮司(ふかたに りょうじ、1974年12月9日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手捕手)、プロ野球コーチ

来歴・人物

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福岡県立八女工業高等学校から進んだ九州共立大学では柴原洋と同期で3年秋ベストナイン、4年時に前田浩継とのバッテリーで大学選手権準優勝。河合楽器に入社。正捕手として活躍し、2001年第72回都市対抗野球大会優勝にも貢献した。同年にチームが休部となったあと、ドラフト会議オリックス・ブルーウェーブに13巡目で指名され入団した。当時オリックスが下位指名選手に対し行っていた、契約金0円選手のひとりである。

しかし、入団時27歳という高齢や右肩の故障がネックになり、たった1年で戦力外通告を受け現役を引退。オリックスのブルペン捕手に転身した。2005年にオリックスと近鉄が合併した際に育成部門へ異動し、同年末に退団。

2006年より2年間四国アイランドリーグ徳島インディゴソックスのコーチを務める。2008年より新設された福岡レッドワーブラーズのコーチに就任。チームが活動を休止するまで2シーズン務めた。福岡退団後、横浜ベイスターズ二軍のブルペン捕手となったが[1]2011年のシーズン終了後に解雇された[2]

2012年より社会人野球NOMOベースボールクラブのコーチを[3]、その後は熊本ゴールデンラークスのヘッドコーチを務めていたが[4]2016年末に退部した。その後、熊本ヒゴバックスのコーチを経て、2018年から2020年まで再度ゴールデンラークスのコーチを務めていた[5]

2016年学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となる[6]2021年から2023年まで、母校・九州共立大学硬式野球部のコーチを務めた[5][7]

2024年より、くふうハヤテベンチャーズ静岡の初代打撃・野手コーチに就任[5]

選手としての特徴

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アマチュア時代は主に4番捕手として活躍。チャンスの強さにも定評があった[8]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2002 オリックス 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:1年 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000

記録

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背番号

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  • 57(2002年)
  • 117(2003年 - 2004年)
  • 27(2024年 - )

脚注

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  1. ^ 福岡RWコーチ・深谷亮司 - 本人ブログ(2010年5月16日)
  2. ^ 「裏方スタッフ10人解雇…横浜」スポーツ報知 2011年10月25日
  3. ^ トピックス | 初めまして。  (78 深谷 亮司 コーチ ふかたに りょうじ)」NOMOベースボールクラブ、2012年2月6日。2017年2月27日閲覧
  4. ^ 熊本ゴールデンラークス」社会人野球ドットコム。2017年2月27日閲覧
  5. ^ a b c "ハヤテ新球団コーチ就任のお知らせ" (PDF) (Press release). ハヤテ223株式会社. 20 December 2023. 2023年12月20日閲覧
  6. ^ 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人」日刊スポーツ、2017年2月8日。2017年2月8日閲覧
  7. ^ 前田泰子「九共大が4年ぶり九州王者 復活支えたホークスとオリックスのOBコーチ」『西スポWEB OTTO!』2022年10月31日。2023年12月21日閲覧
  8. ^ 山本清春『野球バッティング』株式会社西東社、2000年、215ページ、ISBN 4-7916-1030-X

関連項目

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外部リンク

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