浜松八幡宮
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浜松八幡宮 | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 静岡県浜松市中央区八幡町2番地 |
位置 | 北緯34度42分57.4秒 東経137度44分12.6秒 / 北緯34.715944度 東経137.736833度座標: 北緯34度42分57.4秒 東経137度44分12.6秒 / 北緯34.715944度 東経137.736833度 |
主祭神 | 玉依姫命、誉田別命 (応神天皇)、息長足姫命 (神功皇后) |
社格等 | 旧郷社、式内社 |
創建 | 仁徳天皇御代[1] |
例祭 | 8月14日〜15日[2] |
地図 |
浜松八幡宮(はままつはちまんぐう)とは、静岡県浜松市中央区八幡町に所在する神社。
概要
[編集]仁徳天皇の御代、遠淡海の鎮静のため、海運の神である玉依比売命を許部の里(現・中央区小沢渡町付近)に祀り、平安時代の延喜式には許部神社と記される[1]。
938年(天慶元年)に神託によって現在地へと遷座し、1051年(永承6年)には源義家(八幡太郎)によって八幡二神(品陀和気命・息長足姫命)が勧請され、多くの武家庶民の崇敬を集めた[1]。
1570年(元亀元年)に徳川家康が、居城を岡崎城から浜松城へ移し、本八幡宮を鬼門封じとする[1]。1572年(元亀3年)の三方原の戦いで敗走した際には、徳川家康は本八幡宮に逃れ、社前の楠の洞穴に潜み、武田勢の捜索を逃れたとされ、その際この楠より瑞雲が立ち上った事から、以後「雲立の楠(くもたちのくす)」と呼ぶようになった[1][4][5]。その後、徳川家康は本八幡宮を徳川家代々の祈願所と定め、旗、弓、神馬を奉納し、家康が江戸に府在の折は、名代を使わして参拝した[1]。
祭神
[編集]境内社
[編集]摂社
- 東照宮 - 祭神:徳川家康、例祭:4月17日。
末社
境内
[編集]- 雲立の楠
- 颯々の松
- 松島十湖(まつしまじっこ)の歌碑
祭事
[編集]- 1月1日 - 歳旦祭
- 1月3日 - 元始祭
- 1月28日 - 焼納祭
- 2月2日 - 追儺式
- 2月3日 - 節分祭
- 2月11日 - 祈年祭・建国祭・浜松稲荷神社例祭
- 4月17日 - 東照宮例祭
- 4月29日 - 昭和祭
- 6月30日 - 夏越大祓式・茅の輪神事
- 8月14日〜15日 - 例大祭
- 11月中旬 - 新嘗祭
- 12月31日 - 大晦日大祓式・除夜祭
- 毎月1日・15日 - 月次祭
アクセス
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]- 遠鉄バス早出行き 八幡宮停留所下車 徒歩1分
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 浜松八幡宮 - 公式サイト