津軽寿世
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄11年(1698年)9月 |
死没 | 宝暦8年2月11日(1758年3月20日) |
改名 | 重視→寿世 |
別名 | 豊五郎、式部、采女(通称) |
戒名 | 妙定院殿翠山泰翁大居士 |
墓所 | 寛永寺津梁院 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 陸奥弘前藩黒石領主 |
氏族 | 津軽氏 |
父母 |
父:津軽信政、母:増山正利娘・不卯姫 養父:津軽政兕 |
兄弟 |
長男、信寿、那須資徳、四男、寿世、 春台院、松平信清正室、女子四人 養兄弟:畠山義躬正室、本目正房室 |
妻 | 正室:津軽政兕娘・綾姫 |
子 |
著高、朝儀、多門信照、伊達為清、 黒石尚央、今大路寿国室 |
津軽 寿世(つがる ひさよ、旧字体:津軽 壽世)は、江戸時代中期の陸奥国弘前藩分家・黒石領(4000石)4代当主。
略歴
[編集]弘前藩4代藩主・津軽信政の五男として誕生した。
正徳4年(1714年)7月12日、大身旗本で一門の津軽政兕の婿養子となった。同年12月28日、7代将軍・徳川家継に御目見した 。享保19年(1734年)6月21日、当主となった。
家の慣例により、宗家弘前藩主(当時は実兄で5代藩主の津軽信寿(信壽))から偏諱(「寿(壽)」の字)を受けて寿世(壽世)と名乗った。
元文4年(1739年)8月15日、館林城の在番を命じられた。
宝暦4年(1754年)12月10日、隠居し、長男の著高に家督を譲った。隠居後、泰翁と号した。
系譜
[編集]父母
正室
- 綾姫 ー 津軽政兕の娘
子女