泉洋辰夫
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泉洋(1958年頃) | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 山形 辰夫 → 泉洋 辰夫 → 泉洋 辰雄 → 泉洋 辰夫 | |||
本名 | 山形 辰夫 | |||
生年月日 | 1928年9月30日 | |||
出身 | 大阪府泉佐野市 | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 103kg | |||
BMI | 33.25 | |||
所属部屋 | 時津風部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り、突っ張り、押し、下手捻り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭6枚目 | |||
生涯戦歴 | 439勝429敗1分12休(60場所) | |||
幕内戦歴 | 192勝222敗1分5休(28場所) | |||
優勝 | 三段目優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1949年10月場所 | |||
入幕 | 1954年5月場所 | |||
引退 | 1962年9月場所 | |||
備考 | ||||
2019年7月24日現在 |
泉洋 辰夫(いずみなだ たつお、1928年9月30日 - 没年不明 )は、大阪府泉佐野市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山形 辰夫(やまがた たつお)。最高位は西前頭6枚目(1959年7月場所)。現役時代の体格は176cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、突っ張り、押し、下手捻り[1]。
来歴・人物
[編集]1949年、21歳で時津風部屋に入門。同年10月場所で初土俵を踏んだ[1]。この場所、番付外と新序で好成績を残した為、翌年1月場所では序ノ口を飛び越していきなり序二段に付いた。
因みに当初の四股名は、本名でもある「山形」であった。
1953年1月場所、番付に付いてから僅か3年、所要11場所で十両に昇進。1954年5月場所で、新入幕を果たした[1]。その後は、幕内の中位~下位で長く活躍した。
小柄だが筋肉質の体で、突っ張りからの両ハズ押しを得意とし、左四つに組むと捻りや切り返しがある技能派力士だった[1]。
彼が取的だった頃は、戦後であり大相撲全体の力士の数も少なかったので、幕下以下も連日取組があった。その為、序二段から廃業まで、全ての場所で15日間相撲を取る[注 1]という珍しい星取表を残している。
1960年1月場所に於いて、後の横綱・大鵬幸喜が、新入幕で初日から11連勝した際の初日の相手だった。
主な戦績
[編集]- 通算成績:439勝429敗1分12休 勝率.506
- 幕内成績:192勝222敗1分5休 勝率.464
- 現役在位:60場所
- 幕内在位:28場所
- 各段優勝
- 三段目優勝:1回(1951年1月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1949年 (昭和24年) |
x | x | x | x | 西新序 4–0 |
x |
1950年 (昭和25年) |
東序二段12枚目 8–7 |
x | 西三段目33枚目 10–5 |
x | 西三段目17枚目 9–6 |
x |
1951年 (昭和26年) |
東三段目4枚目 優勝 12–3 |
x | 東幕下17枚目 9–6 |
x | 東幕下10枚目 9–6 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東幕下4枚目 8–7 |
x | 東幕下3枚目 7–8 |
x | 東幕下4枚目 11–4 |
x |
1953年 (昭和28年) |
西十両13枚目 7–8 |
東十両15枚目 10–5 |
西十両12枚目 11–4 |
x | 東十両7枚目 7–8 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西十両9枚目 9–6 |
西十両3枚目 9–6 |
東前頭19枚目 5–10 |
x | 東十両筆頭 9–6 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東前頭15枚目 7–8 |
西前頭15枚目 8–7 |
西前頭14枚目 7–8 |
x | 西前頭15枚目 10–5 |
x |
1956年 (昭和31年) |
西前頭7枚目 4–10 1痛分 |
東前頭13枚目 9–6 |
西前頭8枚目 4–11 |
x | 東前頭16枚目 6–9 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西前頭18枚目 7–8 |
西前頭19枚目 7–8 |
西前頭19枚目 8–7 |
x | 東前頭17枚目 4–6–5[2] |
東前頭20枚目 7–8 |
1958年 (昭和33年) |
西前頭20枚目 9–6 |
西前頭16枚目 8–7 |
東前頭13枚目 7–8 |
東前頭14枚目 10–5 |
東前頭9枚目 7–8 |
西前頭11枚目 7–8 |
1959年 (昭和34年) |
西前頭12枚目 8–7 |
東前頭10枚目 7–8 |
西前頭12枚目 9–6 |
西前頭6枚目 7–8 |
東前頭7枚目 5–10 |
西前頭11枚目 6–9 |
1960年 (昭和35年) |
東前頭14枚目 4–11 |
西十両2枚目 8–7 |
東十両筆頭 8–7 |
東前頭16枚目 5–10 |
東十両5枚目 5–10 |
西十両10枚目 11–4 |
1961年 (昭和36年) |
西十両3枚目 9–6 |
西十両筆頭 6–9 |
西十両4枚目 7–8 |
東十両5枚目 4–11 |
西十両11枚目 6–9 |
西十両16枚目 9–6 |
1962年 (昭和37年) |
東十両10枚目 7–8 |
西十両11枚目 8–7 |
西十両10枚目 6–9 |
東十両14枚目 4–11 |
西幕下2枚目 引退 0–0–7 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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東海 | 1 | 2 | 愛宕山 | 2 | 6 | 天津灘 | 1 | 0 | 岩風 | 3 | 8 | |||
宇田川 | 0 | 2 | 及川 | 3 | 8 | 追手山 | 0 | 1 | 大瀬川 | 4 | 1 | |||
大起 | 2 | 2 | 大田山 | 1 | 0 | 大ノ浦 | 2 | 4 | 大晃 | 4 | 8 | |||
小城ノ花 | 8 | 2 | 小野錦 | 1 | 3(1) | 大蛇潟 | 2 | 3 | 海山 | 4 | 6 | |||
金ノ花 | 4 | 2 | 神生山 | 2 | 3 | 神錦 | 7 | 1 | 起雲山 | 2 | 2 | |||
清ノ森 | 2 | 1 | 国登 | 9(1) | 4 | 鯉の勢 | 4 | 2 | 琴ヶ濱 | 0 | 1 | |||
琴錦 | 0 | 1 | 櫻國 | 2 | 1※ | 信夫山 | 2 | 4 | 嶋錦 | 5 | 4 | |||
清水川 | 2 | 4 | 大鵬 | 0 | 1 | 高錦 | 6 | 2 | 楯甲 | 2 | 0 | |||
玉乃海 | 0 | 1 | 玉響 | 1 | 2 | 常錦 | 3 | 2 | 常ノ山 | 4 | 3 | |||
輝昇 | 0 | 1 | 出羽錦 | 1 | 2 | 出羽ノ花 | 1 | 3 | 出羽湊 | 4 | 4 | |||
富樫 | 1 | 0 | 栃光 | 1 | 5 | 鳴門海 | 6 | 8 | 成山 | 5 | 4 | |||
白龍山 | 5 | 2 | 羽嶋山 | 5(1) | 5 | 羽子錦 | 2 | 2 | 緋縅 | 3 | 3 | |||
備州山 | 0 | 1 | 秀湊 | 2 | 1 | 平ノ戸 | 2 | 2 | 広瀬川 | 2 | 6 | |||
福田山 | 2 | 3 | 福ノ海 | 1 | 2 | 福乃里 | 2 | 1 | 房錦 | 1 | 5 | |||
冨士錦 | 3 | 1 | 二瀬山 | 2 | 2 | 前ノ山(佐田岬) | 3 | 2 | 松登 | 1 | 2 | |||
三根山 | 1 | 4 | 宮錦 | 3 | 7 | 明歩谷 | 1 | 1 | 八染 | 6 | 3 | |||
吉井山 | 3 | 3 | 芳野嶺 | 6 | 9 | 若瀬川 | 4 | 2 | 若秩父 | 0 | 3 | |||
若ノ海 | 2 | 8 | 若乃國 | 1 | 1 | 若前田 | 1 | 8 | 若三杉 | 3 | 2 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
※他に櫻國と痛分が1つある。
改名歴
[編集]- 山形 辰夫(やまがた たつお、1950年1月場所-1952年9月場所)
- 泉洋 辰夫(いずみなだ -、1953年1月場所-1962年9月場所)
脚注
[編集]注釈
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1990年)