池田仲央
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄5年11月1日(1692年12月8日) |
死没 | 宝暦3年1月11日(1753年2月13日) |
改名 | 八(幼名)、澄明(初名)→仲央 |
別名 | 澄猶(別名) |
戒名 | 笈敦院活空徹玄 |
墓所 | 鳥取県鳥取市国府町奥谷の池田家墓所 |
官位 | 従五位下、豊前守、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国鹿奴藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 | 父:池田仲澄、母:中川氏 |
兄弟 |
千屋子、吉泰、仲央、澄古、清子、定賢、 柳生矩美 |
妻 | 側室:五月氏 |
子 | 仲庸、輝子、邦子、央章、鵜殿央堯、利久、庸熈 |
池田 仲央(いけだ なかてる)は、因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の第2代藩主。
経歴
[編集]元禄5年(1692年)11月1日、初代藩主・池田仲澄の次男として鳥取で生まれる。元禄16年(1703年)9月6日、父の隠居により家督を継ぐ。
宝永3年(1706年)12月19日に従五位下・豊前守に叙位・任官する。享保17年(1732年)9月に摂津守に遷任する。
朝鮮通信使や公家の接待、江戸城御門番など、幕府の公役に従事した。また、文学の奨励にも尽力した。
宝暦3年(1753年)1月11日、鳥取で死去した。享年62。跡を長男・仲庸が継いだ。
曽祖父の徳川頼宣は徳川家康の十男であるため、仲央は家康の玄孫に当たる。