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桜京美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さくら きょうみ
桜 京美
桜 京美
1956年ごろ
本名 村瀬 つね子[1]
生年月日 (1930-06-03) 1930年6月3日
没年月日 (1988-11-10) 1988年11月10日(58歳没)
出生地 日本の旗 東京府
死没地 日本の旗 千葉県
身長 151 cm[2]
職業 女優声優
ジャンル テレビ映画
活動期間 1935年 - 1980年代
事務所 アクターズプロモーション(最終所属)
主な作品
お笑い三人組
チロリン村とくるみの木
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桜 京美(さくら きょうみ、1930年6月3日 - 1988年11月10日ごろ[3])は、日本の女優声優。最終所属はアクターズプロモーション[3]

略歴・人物

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東京出身[1]。5歳の時、キングレコードから童謡歌手としてデビュー[1][4]エヌ・エー・シーに所属していた[5]


戦後は劇団たんぽぽに入り、1954年からは喜劇女優として主にテレビラジオで活動[4]1958年開始のテレビ番組『お笑い三人組』で真知子役として人気を博し、人形劇『チロリン村とくるみの木』や吹き替えなどでは声優としても活動[4][6]

その後は女優・声優業と並行しテレビタレントとしても活動していたが、病気などを理由に1985年頃から芸能界の仕事を離れるようになる。

1987年に胃の手術を受ける[6]1988年3月には芸能事務所と契約し、再起を目指していた。

1989年1月6日、少し前から連絡がとれなくなったことで不審に思ったマネージャーが千葉県山武郡大網白里町(現:大網白里市)の自宅を訪ねたところ、こたつの脇でうつ伏せに倒れているのを発見し、その後死亡が確認された。58歳没。遺体は腐乱し、吐血の跡があったという。警察の捜査で事件性は無いこと、部屋に残され「だるい」「血便が出る」などと書かれた日記用手帳の日付が前年11月10日で途切れていたことから、その頃に病死し、独居していたため約二ヶ月間気付かれずにいたと推測されている[3]。当時はまだ「孤独死」という言葉が一般的でなく、その訃報は衝撃をもって伝えられた[7]

同業者でもある小桜京子とは名前が似ているためよく混同されたが、その小桜とはフジテレビライオンのいただきます』やTBSロボッタン』で共演したことがある。ちなみに桜が死去した際、小桜の元に献花が届いた、というエピソードもある。

出演

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映画

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テレビドラマ

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テレビアニメ

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吹き替え

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人形劇

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脚注

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  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.291
  2. ^ 『日本タレント名鑑(1987年版)』VIPタイムズ社、1987年、358頁。 
  3. ^ a b c “桜 京美さん 自宅で孤独な死”. 朝日新聞. (1989年1月7日) 
  4. ^ a b c 桜京美”. 映画DB. 中央映画貿易株式会社. 2022年5月24日閲覧。
  5. ^ 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、73頁。 
  6. ^ a b 桜 京美」『新撰 芸能人物事典 明治~平成』https://kotobank.jp/word/%E6%A1%9C%20%E4%BA%AC%E7%BE%8Eコトバンクより2022年5月24日閲覧 
  7. ^ 梅田彩佳 (2016年6月14日). “梅田彩佳 7日しかなかった昭和64年「あるある」を語る”. NEWSポストセブン. 2022年5月24日閲覧。
  8. ^ 劇映画 「野郎どもと女たち」”. NHKクロニクル. 2023年8月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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