松平正温
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 享保10年2月19日(1725年4月2日) |
死没 | 天明2年11月2日(1782年12月6日) |
改名 | 祝盈→正温 |
別名 | 巳之助→金弥(通称) |
戒名 | 円理院殿頓誉寿齢大居士 |
墓所 | 東京都文京区向丘の蓮光寺 |
官位 | 従五位下、信濃守、備前守、弾正忠 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総大多喜藩主 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 |
父:松平信祝 母:左近(永井氏) 養父:松平正貞 |
兄弟 | 信復、中川久貞、正温、安藤直之 |
妻 | 松平久瑞の娘(松平正貞の養女) |
子 |
正升、本庄道信、松平資承、信譲、 正恒、娘(近藤用和正室)、 娘(松平乗森継室)、娘(水野範明正室)、 娘(松平尚庸室のち松平正喬継室):9男8女 |
松平 正温(まつだいら まさはる)は、江戸時代中期から後期の大名。上総大多喜藩の第3代藩主。大河内松平宗家5代。
生涯
[編集]享保10年(1725年)、三河吉田藩主・松平信祝の三男として吉田で生まれる。寛延元年(1748年)10月に第2代大多喜藩主・松平正貞の世子(実子)久瑞が死去したため、11月16日に正貞の養子となり、12月に叙任する。そして寛延2年(1749年)に正貞も死去したため、その跡を継いだ。宝暦8年(1758年)に大坂加番となっている。明和4年(1767年)9月25日、長男の正升に家督を譲って隠居し、天明2年(1782年)11月2日に死去した。享年58。
系譜
[編集]父母
正室
側室
- 長山氏
子女