松平忠倫 (戦国時代)
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松平 忠倫(まつだいら ただとも、生年不詳 - 天文16年(1547年))は、戦国時代の武将。通称三左衛門。佐々木松平家松平信次は弟か [1]。
略歴
[編集]長沢松平家の庶流で、佐々木城、上和田城(共に愛知県岡崎市)城主。天文9年(1540年)頃より織田信秀に内通し、松平広忠に逆心した[2]。
『三河物語』によれば、天文16年(1547年)、松平広忠方の筧重忠とその弟筧正重(助太夫)に暗殺された[2]。また、松平三左衛門と忠倫は別人だとする説もある[2]。
参考文献
[編集]- 『尾張群書系図部集第 2 巻』(続群書類従完成会、1997年、964p)
- 『通俗日本全史第9巻』( 早稲田大学出版部 、1913年、154p)
脚注
[編集]- ^ 早稲田大学出版部 1913, p. 154.
- ^ a b c 続群書類従完成会 1997, p. 964.