東武 (衆議院議員)
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東 武(あずま たけし、明治2年4月14日[1](1869年5月25日) - 昭和14年(1939年)9月3日)は日本の政治家、出版事業家。従四位勲二等。所属政党は立憲政友会。別名、東牧堂(あずま ぼくどう)。
経歴
[編集]大和国十津川(現・奈良県吉野郡十津川村)に東義次の長男として生まれる。東家は旧十津川郷士であった。郷校文武館(現・奈良県立十津川高等学校)を経て東京法学院(現・中央大学法学部)に在学中、1889年(明治22年)8月、故郷が大水害に遭ったため、十津川村の住民を指導して北海道新十津川村(現在の新十津川町)への移民事業に挺身。1891年(明治24年)、自らも北海道に移住して開拓事業を推進した。森源三、五十嵐久助とともに菊亭農場の管理人となり、農場解体後は土地の譲受者となった[2]。
北海タイムス社(現在の北海道新聞社)の経営者を経て北海道会議員に当選。1908年(明治41年)から衆議院議員を10期務めた。1927年(昭和2年)、田中義一内閣で農林政務次官に就任。このほか、鉄道会議議員、農林省米穀局顧問、日本競馬会設立委員、立憲政友会総務、シベリア派遣軍慰問議員団長、日本新聞連盟理事長、北海タイムス社相談役などを歴任。1939年(昭和14年)9月3日に病没。墓所は多磨霊園。
札沼線(通称学園都市線)の敷設に尽力した。
著書
[編集]- 『遠を津川』東武、1911年。
- 『南山餘録』民友社、1912年。
- 『風塵集』桜南書楼、1916年。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
- ^ 北海道「大正用水」の灌漑地域の稲作展開の特色と現状 七戸長生『水利の社会構造』 国際連合大学 1984年