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東オサワ信号場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東オサワ信号場
信号場構内(2010年3月)
ひがしおさわ
Higashi-osawa
オサワ(信) (3.9 km)
(7.7 km) 清風山(信)
地図
所在地 北海道勇払郡むかわ町穂別長和
北緯42度56分37秒 東経142度13分10秒 / 北緯42.94361度 東経142.21944度 / 42.94361; 142.21944座標: 北緯42度56分37秒 東経142度13分10秒 / 北緯42.94361度 東経142.21944度 / 42.94361; 142.21944
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石勝線
キロ程 59.6 km(南千歳起点)
電報略号 カオ
駅構造 地上
ホーム 2線(乗降設備なし)
開業年月日 1981年昭和56年)10月1日[1]
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東オサワ信号場(ひがしオサワしんごうじょう)は、北海道勇払郡むかわ町穂別長和(ほべつおさわ)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線信号場である。電報略号カオ[2]事務管理コードは▲132142[3]

歴史

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1966年昭和41年)に紅葉山線(現在の石勝線新夕張駅 - 占冠駅間)の建設が認可された際に、新登川(しんのぼりかわ)の名称で旅客も扱う停車場として設置が計画されていた[4][5]

年表

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構造

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南千歳方から新得方に向かって左手から下り本線、上り本線の2線を有する単線行き違い型信号場。開業時点ではこのほかその間に上下副本線を有した[7]。それぞれの進行方向に安全側線を設け、両方の分岐器スノーシェルターで覆っている[7]

周辺

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穂別ダムの上流に位置し、深い山の中である。

付近には、かつて新登川炭鉱および集落が存在したが1954年に閉鉱。その後も集落は、農業、林業従事者らにより維持されていたが、鉄道が開通する以前に人口は減少していった[8]

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
石勝線
新夕張駅 (K20) - (楓信号場) - (オサワ信号場) - (東オサワ信号場) - (清風山信号場) - *鬼峠信号場 - 占冠駅 (K21)
*打消線は廃止信号場

脚注

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  1. ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 24号 石勝線・千歳線・札沼線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月27日、15頁。 
  2. ^ “道央の新しい動脈 石勝線 プロフィールと撮影ガイド”. 鉄道ジャーナル 16 (1(通巻179)): 22-27. (1982-01-01). 
  3. ^ 日本国有鉄道旅客局 編『日本国有鉄道 停車場一覧』日本国有鉄道、1985年9月20日、189頁。doi:10.11501/12065988ISBN 4-533-00503-9https://dl.ndl.go.jp/pid/12065988 
  4. ^ 名羽線および紅葉山線の工事実施計画認可」『運輸公報』第873号、運輸省大臣官房、1966年7月26日、307頁、doi:10.11501/96458852022年6月6日閲覧 
  5. ^ 岩田伸雄 (1974-01). “石勝線建設の工事現況” (PDF). 建設の機械化 (日本建設機械化協会) 20 (287): pp.11-17. オリジナルの2018-09-17時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180917143240/http://jcma.heteml.jp/bunken-search/wp-content/uploads/1974/jcma-1974_01.pdf. 
  6. ^ 藤島, 茂「JR北海道における130km/h高速化」『鉄道と電気技術』第8巻第4号、日本鉄道電気技術協会、1997年3月、68-71頁、doi:10.11501/3314045ISSN 0915-9231 
  7. ^ a b 渡辺節雄 (1981-12). “国鉄・石勝線の開業について”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 31 (12): pp.13-18. doi:10.11501/3294531. ISSN 0040-4047. 
  8. ^ 栗山幸生『穂別高齢者の語り聞き史(昭和編)大地を踏みしめて 上  奥穂別(長和)のはじまり 』穂別高齢者の語りを聞く会、2014年、204-206頁。 

関連項目

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