東オサワ信号場
表示
東オサワ信号場 | |
---|---|
信号場構内(2010年3月) | |
ひがしおさわ Higashi-osawa | |
◄オサワ(信) (3.9 km) (7.7 km) 清風山(信)► | |
所在地 | 北海道勇払郡むかわ町穂別長和 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■石勝線 |
キロ程 | 59.6 km(南千歳起点) |
電報略号 | カオ |
駅構造 | 地上 |
ホーム | 2線(乗降設備なし) |
開業年月日 | 1981年(昭和56年)10月1日[1] |
東オサワ信号場(ひがしオサワしんごうじょう)は、北海道勇払郡むかわ町穂別長和(ほべつおさわ)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線の信号場である。電報略号はカオ[2]。事務管理コードは▲132142[3]。
歴史
[編集]1966年(昭和41年)に紅葉山線(現在の石勝線新夕張駅 - 占冠駅間)の建設が認可された際に、新登川(しんのぼりかわ)の名称で旅客も扱う停車場として設置が計画されていた[4][5]。
年表
[編集]- 1981年(昭和56年)10月1日:日本国有鉄道石勝線の開業にともない使用開始[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
- 1995年(平成7年)度:石勝線・根室線高速化工事に伴い同年度に構内改良[6]。
構造
[編集]南千歳方から新得方に向かって左手から下り本線、上り本線の2線を有する単線行き違い型信号場。開業時点ではこのほかその間に上下副本線を有した[7]。それぞれの進行方向に安全側線を設け、両方の分岐器をスノーシェルターで覆っている[7]。
周辺
[編集]穂別ダムの上流に位置し、深い山の中である。
付近には、かつて新登川炭鉱および集落が存在したが1954年に閉鉱。その後も集落は、農業、林業従事者らにより維持されていたが、鉄道が開通する以前に人口は減少していった[8]。
隣の駅
[編集]- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■石勝線
- *
打消線は廃止信号場
脚注
[編集]- ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 24号 石勝線・千歳線・札沼線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月27日、15頁。
- ^ “道央の新しい動脈 石勝線 プロフィールと撮影ガイド”. 鉄道ジャーナル 16 (1(通巻179)): 22-27. (1982-01-01).
- ^ 日本国有鉄道旅客局 編『日本国有鉄道 停車場一覧』日本国有鉄道、1985年9月20日、189頁。doi:10.11501/12065988。ISBN 4-533-00503-9 。
- ^ 「名羽線および紅葉山線の工事実施計画認可」『運輸公報』第873号、運輸省大臣官房、1966年7月26日、307頁、doi:10.11501/9645885、2022年6月6日閲覧。
- ^ 岩田伸雄 (1974-01). “石勝線建設の工事現況” (PDF). 建設の機械化 (日本建設機械化協会) 20 (287): pp.11-17. オリジナルの2018-09-17時点におけるアーカイブ。 .
- ^ 藤島, 茂「JR北海道における130km/h高速化」『鉄道と電気技術』第8巻第4号、日本鉄道電気技術協会、1997年3月、68-71頁、doi:10.11501/3314045、ISSN 0915-9231。
- ^ a b 渡辺節雄 (1981-12). “国鉄・石勝線の開業について”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 31 (12): pp.13-18. doi:10.11501/3294531. ISSN 0040-4047.
- ^ 栗山幸生『穂別高齢者の語り聞き史(昭和編)大地を踏みしめて 上 奥穂別(長和)のはじまり 』穂別高齢者の語りを聞く会、2014年、204-206頁。