コンテンツにスキップ

来宮良子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きのみや りょうこ
来宮 良子
プロフィール
本名 櫻井 良子
(さくらい りょうこ)[1][2]
性別 女性
出身地 日本の旗 日本東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原[3]
死没地 日本の旗 日本東京都港区[4]
生年月日 (1931-07-10) 1931年7月10日
没年月日 (2013-11-25) 2013年11月25日(82歳没)
血液型 A型[5]
職業 声優女優ナレーター
事務所 東京俳優生活協同組合(最終所属)[6]
配偶者 独身
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重 158 cm / 51 kg
活動
活動期間 1951年[3] - 2013年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日[6][8] - 2013年11月25日[1][8])は、日本声優女優ナレーター東京俳優生活協同組合に所属していた[6]東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)出身[3]

キャリア初期は、本名の櫻井 良子(さくらい りょうこ)[1]名義でも活動していた。

来歴

[編集]

小さい頃から本を朗読することが好きであり、アナウンサーになることを志望していた[9]

当初は東京府青山師範学校(後の東京第一師範学校)に通っていたが、小学4年生から東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)に転校[3]。戦時中は疎開がてらに茨城県立土浦高等女学校(現:茨城県立土浦第二高等学校)に進学し、女子寮に入る[3]。色々あり、一ヵ月で町の下宿に移り、姉と一緒に生活を始めたがそれも長続きせず東京都へ帰郷して調布高等女学校(現:田園調布学園中等部・高等部)に転校[3]

花嫁修業のつもりで東京家政学院短期大学に進学[3]1951年、東京家政学院短期大学在学時、NHKラジオドラマ『向う三軒両隣り』での一般公募オーディションに合格し娘役でデビュー[3][9][10]。同時に大学を中退し、東京放送劇団へ四期生として入団した[9][11]。同期生には黒沢良[3]山内雅人川久保潔などがいる。その頃から、仲間と研究会のようなことで舞台を二度ほど経験しており、『阿Q正伝』だったと語る[3]。しかしどうしてもあの空気が好きになれなかった[3]。あまり人のいっぱいいるのが好きではなく、スタジオで1人でするのが良かった[3]。舞台の脚光はほしくなく、全身をさらして大勢の人の前に立つのはいやだったという[3]

1952年には『君の名は』でナレーションを担当[11]。当初は本名で活動していたが、劇団民藝桜井良子という女優がいたため改名を決意し[3][12][13]1953年に『向う三軒両隣り』での役名「来宮」をとって現在の芸名となる[10]。以降は『笛吹童子』など多くのNHKラジオドラマに出演し、声優の道を歩む[9]

テレビ放送開始したばかりの時期、2、3度はテレビドラマに出演していた[3]1955年にフリーとなり[3][10]、ラジオ番組の司会や『アニーよ銃をとれ』で主演の吹き替えを担当するなど幅広く活動[9]。森の会、プレーズセンターを経て、1958年に太平洋テレビジョン芸能部所属[14]1960年には東京俳優生活協同組合の創立に参加し、亡くなるまで同組合に在籍した[6]

1967年1979年ACC賞(ナレーション部門)を受賞[6]2008年には、第2回声優アワードで功労賞を受賞した[6]

2013年4月以降、病気療養のためレギュラー出演していたナレーション業を降板し、代役・後任が立てられるようになった。同年11月25日、来宮は肺疾患による多臓器不全のため東京都港区の病院で死去した[4][15]。82歳没。生涯独身だった。通夜・葬儀は近親者で行った。遺作は同年7月17日に収録した『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学』のナレーションとなった[4]

2014年、第8回声優アワード「特別功労賞」を受賞[16]

特色・人物

[編集]

声種アルト[6]。魅力的な低音の声を特徴としている[17]

吹き替えでは創生期より活動しており、モーリン・オハラなどのクール・ビューティーな女優に多く起用された。

ナレーターとしては『演歌の花道』や『いつみても波瀾万丈』、一連の大映ドラマなどで聴かせた独特な語りが来宮節と呼ばれ、高い人気を得た[9][18]。また、オカルト系統の番組のナレーションはほぼ独擅場と言っていいほど多く担当していた[11]

趣味は読書[5]ゴルフにも熱中していたという[10]

父は開業医で明治の人物だったことから、娘には当然厳格であり、宝塚歌劇団も見たことがなかった[3]

エピソード

[編集]

『演歌の花道』のナレーションについて来宮は、開始時における他の演歌番組のナレーターはほぼ男性だったことから取り組み方に試行錯誤したという[9]。また、構成作家の曽我部博士による台本は普段口にしない言葉や文体、表現方法に悩む文が多く、苦労すると語る一方で「台本を生かすため一字一句変えずやっていますが、このようなひっかかりのある文句を語るところに独特の味が生まれてきたのではと思っています」と述べている[9]。後に同番組は来宮の代表作の一つとなり、放送終了後に再放送が決定した際は「本当に嬉しいこと。今でもタクシーに乗ったりすると『演歌~の人ですか?』って聞かれるの。またレギュラーで復活できればいいな」とコメントしていた[19]

吹き替えで印象に残っている作品には、初めて老け役を担当したことから『アンタッチャブル』を挙げている。

地獄先生ぬ〜べ〜』でオープニングナレーションを担当したのは、来宮がオカルト系統の番組のナレーション多く担当していたことからの縁であった[要出典]

後任・代役

[編集]
後任 役名・役職 作品・番組名 初担当
杉本るみ ナレーション たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学 2013年8月頃
世界ナゼそこに?日本人 不明
演歌の花道 2014年新春スペシャル以降
信長のシェフ 第2シリーズ
近藤サト 世界の怖い夜! 2013年7月24日放送回
榊原良子 2013年12月21日放送回
上村典子 2015年12月26日回
寺瀬今日子 2014年7月16日放送回以降
塩田朋子 ドロシー 紳士は金髪がお好き 追加収録部分

出演作品

[編集]

テレビドラマ

[編集]

全てナレーションでの出演。

映画

[編集]

テレビアニメ

[編集]
1965年
  • W3(星兄弟の母)
1966年
1967年
1968年
1971年
1972年
1979年
1980年
1981年
1983年
1986年
1987年
1989年
1996年
2000年
2002年
2003年
2004年
2006年
  • 銀魂(ナレーション)
2009年
2011年
2012年

劇場アニメ

[編集]
1979年
1981年
1982年
1986年
1988年
1994年
2007年
2013年

OVA

[編集]

ゲーム

[編集]
1995年
  • 真怨霊戦記(ナレーション)
1999年
2001年
2002年
2003年

吹き替え

[編集]

女優

[編集]
モーリン・オハラ
ジェーン・ラッセル

映画

[編集]

海外ドラマ

[編集]

海外アニメ

[編集]

ラジオ

[編集]

CD

[編集]

バラエティ・生活情報番組

[編集]

全てナレーションとして出演。

CM

[編集]

テレビCM

[編集]

全てナレーションとして出演(※映画は制作または配給会社ごとに分類)。

映画関連
[編集]
ほか
開業告知
[編集]
放送局関連
[編集]
楽曲関連
[編集]
商品など
[編集]
ほか多数

ラジオCM

[編集]
  • 伊勢丹
    • 企業広告(1971年)
  • 資生堂
    • 「ナチュラルグロウ」(1971年)
  • 赤井電機
    • 「アカイテープデッキGXシリーズ」(1972年)

その他

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 櫻井良子名義。
  2. ^ 「僕だって、靴だけ見ればいい男」というフレーズのCM。

出典

[編集]
  1. ^ a b c 声優の来宮良子さんが死去 82歳 「演歌の花道」などナレーションで活躍”. シネマトゥデイ (2013年12月5日). 2013年12月5日閲覧。
  2. ^ 成美堂出版 編「女性篇」『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月10日、88頁。ISBN 4-415-00878-X 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「芸バカ列伝⑱ 声優 来宮良子」『週刊朝日』1981年2月27日号、朝日新聞社、1981年2月、118-121頁。 
  4. ^ a b c 来宮良子さん死去 「演歌の花道」でナレーション」『スポニチ』スポーツニッポン新聞社、2013年12月6日。2022年4月12日閲覧。
  5. ^ a b 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、54頁。 
  6. ^ a b c d e f g 来宮良子”. 東京俳優生活協同組合. 2013年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月15日閲覧。
  7. ^ 『日本タレント名鑑(2013年版)』VIPタイムズ社、2013年1月29日、530頁。ISBN 978-4-904674-04-8 
  8. ^ a b 来宮良子」『Excite News』(エキサイト株式会社)。2023年11月5日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h 「[この人]PART2 来宮良子」『読売新聞 夕刊』1988年6月6日。
  10. ^ a b c d 「お顔拝借 ~来宮良子 声優一途にうちこむ 古巣のラジオがいい~」『読売新聞 夕刊』1963年6月7日。
  11. ^ a b c 【訃報】「君の名は」の来宮さん死去”. テレ朝芸能&ニュース. テレビ朝日 (2013年12月5日). 2019年9月20日閲覧。
  12. ^ 内外タイムス社文化部 編『スターのいる町』近代社、1955年、94頁。 
  13. ^ 『新婦人』9月号、文化実業社、1952年、32頁。 
  14. ^ 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1964年、130頁。 
  15. ^ 声優の来宮良子さん 多臓器不全で死去」『デイリースポーツ』2013年12月5日。2013年12月5日閲覧。
  16. ^ 第八回声優アワード授賞者”. 声優アワード. 2021年3月21日閲覧。
  17. ^ 第二回声優アワード Archived 2009年2月20日, at the Wayback Machine.
  18. ^ 来宮良子のプロフィール”. ザテレビジョン. 2022年4月12日閲覧。
  19. ^ “来宮良子の名調子再び・・・伝説の歌番組「演歌の花道」再放送!”. 文化通信.com. (2010年11月30日). https://www.bunkatsushin.com/varieties/article.aspx?bc=1&id=817 2022年4月12日閲覧。 
  20. ^ 尾形英夫 編「声のヒーロー37人総登場」『ロマンアルバム(4) テレビランド増刊号 デビルマン』徳間書店、1978年2月25日、76頁。 
  21. ^ 赤星政尚 編「PICTURE ENCYCLOPEDIA OF DAEMON」『デビルマン解体新書』講談社、1999年2月10日、111頁。ISBN 4-06-330070-6 
  22. ^ さよなら銀河鉄道999|キャラクター/キャスト”. 東映アニメーション. 2022年11月23日閲覧。
  23. ^ アリオン”. メディア芸術データベース. 文化庁. 2023年2月17日閲覧。
  24. ^ スーパーマリオ 魔界帝国の女神 Blu-ray 普及版”. TCエンタテインメント. 2024年2月19日閲覧。
  25. ^ 10月のおすすめ【ふきカエレビュー】ふきカエル大作戦!!”. ふきカエル大作戦!!. 2022年4月10日閲覧。
  26. ^ 伊藤海彦 (1959). “放送記録”. 夜が生れるとき : 詩劇集. ユリイカ. p. 191 
  27. ^ 伊藤海彦 (1966). “放送記録”. 吹いてくる記憶 : 放送詩劇集. 思潮社. p. 307 
  28. ^ 名古屋テレビ グリーンキャンペーン”. 名古屋テレビ【メ~テレ】. 2022年7月5日閲覧。

外部リンク

[編集]