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杉浦敏介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杉浦 敏介(すぎうら びんすけ、1911年11月13日 - 2006年1月27日)は日本の実業家。元日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)頭取。日韓経済協会第三代目会長。

来歴・人物

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東京市下谷区に杉浦倹一・とし夫妻の次男として生まれる。杉浦家は江戸時代幕臣であった。東京高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業後の1935年日本勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。日本勧業銀行の権力闘争に敗れた濱口巌根とともに[1]1952年に設立された長銀創立に参加[1]。専務、副頭取を経て1971年5月から1978年6月まで頭取。その後は会長、相談役最高顧問などを務めた。

会長時代も含め20年近くも経営トップの座に君臨し、「長銀中興の祖」、「長銀のドン」と呼ばれた。在職中、リース不動産流通といった新興企業へ積極的な貸出姿勢をとったが、これらの企業への貸出はバブル崩壊後ことごとく不良債権化した。特に、杉浦が中心となって進めたイ・アイ・イ・インターナショナルに対する融資3,800億円がこげ付いたことは、長銀の経営破綻の大きな原因となった。その後、道義的責任を問われるが本人はこれを否定し続けた。しかし、周囲の勧めもあり、自宅を売却して退職金(総額9億円)の一部として2億円を返還した[2]

2006年1月27日、急性心筋梗塞のため東京都内の自宅で死去。94歳没[2]

家族

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 佐高信『経済戦犯 日本をダメにした9人の罪状徳間書店、2001年、21-25頁。ISBN 4-19-861385-0 
  2. ^ a b “杉浦・元長銀頭取が死去 破たんで退職金返還”. 共同通信社. 47NEWS. (2006年1月28日). https://web.archive.org/web/20141030143111/http://www.47news.jp/CN/200601/CN2006012801001016.html 2014年10月30日閲覧。 
  3. ^ 植民地官僚経歴図 杉浦倹一(すぎうらけんいち)国立公文書館アジア歴史資料センター
  4. ^ 杉浦儉一『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  5. ^ 国友弘康氏死去/元東武鉄道専務四国新聞社、2001/09/30
  6. ^ 黒田英雄『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
先代
宮崎一雄
日本長期信用銀行頭取
1971年 - 1978年
次代
吉村勘兵衞