コンテンツにスキップ

日近城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
logo
logo
日近城
愛知県
日近城本曲輪
日近城本曲輪
別名 名ノ内城[1]
城郭構造 山城
天守構造 無し
築城主 奥平貞昌
築城年 1478年文明10年)[1][2]
主な改修者 奥平貞直
主な城主 日近奥平家奥平宗家
廃城年 1590年天正18年)
遺構 日近奥平家家臣団の墓[1]、曲輪、虎口、堀切
指定文化財 市指定史跡[3]
位置 北緯34度59分14.4秒 東経137度19分18.5秒 / 北緯34.987333度 東経137.321806度 / 34.987333; 137.321806 (日近城)座標: 北緯34度59分14.4秒 東経137度19分18.5秒 / 北緯34.987333度 東経137.321806度 / 34.987333; 137.321806 (日近城)
地図
日近城の位置(愛知県内)
日近城
日近城
テンプレートを表示
日近城帯曲輪
日近城二ノ曲輪
日近城三ノ曲輪
日近城虎口

日近城(ひぢかじょう)[1][2]は、愛知県岡崎市桜形町にあった日本の城山城)。岡崎市の指定史跡

概要

[編集]

日近城は、1478年文明10年)奥平貞昌広祥院の裏山に築いた山城である[1][2]

歴史

[編集]

日近奥平家の本拠であったが、日近合戦の後、日近は奥平宗家の支配となった[1]。築城から約100年後の1590年天正18年)徳川家康関東移封に伴い、奥平氏も関東に移り廃城となった。

構造

[編集]

当初は、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪を配した直線的な構造だった。その後、堀切りや大手口となる虎口を設けた。小規模ながら重要な軍事的役割を果たした城だった。

参考文献

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『新編岡崎市史額田資料編Ⅰ』P300
  2. ^ a b c 『額田町史』P146
  3. ^ 岡崎市指定文化財目録 ”. 岡崎市. 2013年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月21日閲覧。

関連項目

[編集]