戸田忠能
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時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 天正14年(1586年) |
死没 | 正保4年1月3日(1647年2月7日) |
戒名 | 道林寺殿一機全通大居士 |
墓所 | 愛知県田原市大久保町の長興寺 |
官位 | 従五位下、因幡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
藩 | 三河田原藩主 |
氏族 | 戸田氏 |
父母 | 父:戸田尊次、母:萬松院(松平伊忠娘) |
兄弟 |
忠能、正次、生勝、忠継、忠高、 蒔田定正正室、水野忠保室、辻某室、 滝川一乗室、戸田某室ら |
妻 | 久昌院(九鬼守隆の娘) |
子 | 養子:忠昌 |
戸田 忠能(とだ ただよし)は、三河田原藩の第2代藩主。宇都宮藩戸田家2代。
生涯
[編集]慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに従軍し、慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけての大坂の陣では徳川秀忠に従った。
元和元年(1615年)に父尊次が死去したため、その跡を継いだ。藩政においては野田村などの検地を実施して藩政の基礎を固めたが、寛永19年(1642年)からの全国的な飢饉の影響を受け、その後に来た台風で舟が破損するなど、晩年の治世は多難であった。正保4年1月3日(1647年2月7日)に62歳で死去した。嗣子が無かったため、弟忠継の長男である忠昌(忠治)が跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 久昌院 - 九鬼守隆の娘
養子