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志々目藤彦

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志々目藤彦

志々目 藤彦(ししめ ふじひこ、1870年2月1日(明治3年1月1日[1][2])- 1927年昭和2年)6月7日[3])は、明治から大正期の農業経営者、政治家衆議院議員、鹿児島県会議長。政治活動に全財産を用いた「井戸塀政治家」として知られた[4]

経歴

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薩摩国揖宿郡、のちの鹿児島県揖宿郡喜入村[5][6]喜入町[4][7]を経て現鹿児島市)で、志々目真幸の長男として生まれる[2]。1879年(明治12年)1月、家督を相続した[2]。普通学、和漢学を修め[5]、1892年(明治25年)明治法律学校(現明治大学)を卒業した[2][3][5][6]。農業を営む[3]

1897年(明治30年[5])鹿児島県会議員に選出され、同参事会員、同副議長を務め、1908年(明治41年)11月[7]、県会議長となった[2][3][4][5][6][7]

1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で鹿児島県郡部から立憲政友会所属で出馬して初当選[8]。代議士1期目で財産を失うが、村人の寄付でその後の政治活動を行った[4][7]。1915年(大正4年)3月の第12回総選挙でも再選[8]、1917年(大正6年)4月の第13回総選挙でも再選され[9]、衆議院議員に連続3期在任した[3][6][7]

その他、鹿児島県産馬組合連合会組長、同畜産連合会長、揖宿郡農会長などに在任し農業振興に務め[3][4]、また、指宿線開通にも尽力した[4]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、29頁。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』し6頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』301頁。
  4. ^ a b c d e f 『熱き薩摩の群像700名』75頁。
  5. ^ a b c d e 『現代日本の政治家』政友会203-204頁。
  6. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』216頁。
  7. ^ a b c d e 『郷土人系 上』86頁。
  8. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』78頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』100頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 下竹原弘志編『郷土と日本を築いた 熱き薩摩の群像700名』指宿白水館、1990年。