川島信也
川島信也 かわしま のぶや | |
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生年月日 | 1936年3月24日 |
出生地 |
日本 滋賀県高島郡 (現・滋賀県高島市) |
没年月日 | 2023年11月15日(87歳没) |
死没地 | 日本 三重県桑名市 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
前職 | 日本国有鉄道経営計画室主幹 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 |
従五位 旭日小綬章 |
(新)長浜市長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2006年3月6日 - 2010年3月4日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1991年11月12日 - 1995年11月11日 1999年11月12日 - 2003年11月11日 |
川島 信也(かわしま のぶや、1936年(昭和11年)3月24日[1] - 2023年(令和5年)11月15日)は、日本の政治家。長浜市長を通算3期12年[2]務めた。
経歴
[編集]高島郡(現・高島市)生まれで長浜市在住[3] 。1959年に東京大学法学部卒業後、日本国有鉄道に入庁[4]。米子鉄道管理局総務部人事課長、大阪鉄道管理局営業部旅客課長、ニューヨーク事務所次長、九州地方資材部長、本社経営計画室主幹を歴任し、1980年に退職[4]。1983年の第37回衆議院議員総選挙(自由民主党公認)、1986年の第38回衆議院議員総選挙(自由民主党公認)、1990年の第39回衆議院議員総選挙(無所属)に続けて出馬するが落選した。
1991年11月12日に長浜市長に就任し1995年11月11日まで在任。1999年に再任[4]。2003年に前市長から引き継いだ[5]、長浜バイオ大学の設立を実現させた。2000年の衆院選では滋賀2区からの出馬も噂された[6]。2003年の市長選では宮腰健に破れて落選した。同年の衆院選に出馬した次男の川島隆二を支援したが落選した(後に滋賀県議)。
2006年に浅井町・びわ町との合併で新長浜市が誕生し、同年の選挙で再び市長に当選、新長浜市初代市長に就任した[4]。翌年には、息子の隆二も県議会選で当選した[7]。「市民が主役のまちづくり」を基本姿勢とし、「行政のスリム化」、「暮らしの安全・安心の実現」による「生涯現役健康都市」などを公約としている[8]。長浜市と虎姫・湖北・高月・木之本・余呉・西浅井町との法定合併協議会の会長を務め[9]、湖北7市町合併を実現させた。
湖北7市町が合併した2010年の市長選に再選を目指したが、前年の衆院選の滋賀2区で落選していた藤井勇治に敗れた。
2023年11月15日6時55分、肺塞栓症のため死去[10]。87歳没。死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された[11]。
出典
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、267頁。
- ^ 1991-1995年、1999-2003年、および2006-2010年
- ^ 川島信也前長浜市長 - Amebaブログ
- ^ a b c d "長浜市ホームページ 市長のプロフィール Archived 2010年5月23日, at the Wayback Machine." 長浜市: 2005. 2008年6月14日閲覧.
- ^ "長浜に全国初の「国際バイオ大学」" 滋賀報知新聞: 2001-2-19. 2008年6月14日閲覧.
- ^ "気になる小西、武村両雄の健康状態" 滋賀報知新聞: 2000-11-16. 2008年6月14日閲覧.
- ^ "JanJan Archived 2008年2月2日, at the Wayback Machine." : 2008年6月14日閲覧.
- ^ "長浜市ホームページ 市長からのメッセージ Archived 2007年10月19日, at the Wayback Machine." 長浜市: 2005. 2008年6月14日閲覧.
- ^ "市町村合併:合併期日、来年1月1日 湖北7市町が協定調印--法定協 /滋賀[リンク切れ]" 毎日新聞: 2009-3-4. 2009年3月10日閲覧.
- ^ “元滋賀県長浜市長の川島信也さん死去 87歳”. 京都新聞 (2023年11月15日). 2023年11月15日閲覧。
- ^ 『官報』第1129号7・8頁 令和5年12月22日