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岩富城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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岩富城
千葉県
城郭構造 平山城
築城主 原氏
築城年 1472年
主な城主 原氏
廃城年 不明
遺構 曲輪土塁
指定文化財 なし
位置 北緯35度39分20.3秒 東経140度14分08.8秒 / 北緯35.655639度 東経140.235778度 / 35.655639; 140.235778座標: 北緯35度39分20.3秒 東経140度14分08.8秒 / 北緯35.655639度 東経140.235778度 / 35.655639; 140.235778
地図
岩富城跡の位置(千葉県内)
岩富城跡
岩富城跡
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岩富城(いわとみじょう)は、千葉県佐倉市岩富町にあった日本の城

歴史

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この地域は、古くは千葉氏一族の白井氏が支配していたが、1455年の享徳の乱以後、原氏が進出した。岩富城は、1472年に原景広が築城したと言われ、景広の子・胤行らが城主であった。この系統の原氏を「弥富原氏」と呼んでいる。[1]

1590年に原氏が千葉氏とともに滅びると、徳川家臣となった北条氏勝が鎌倉の玉縄城より移されて入城し、一万石に封ぜられた。

その後、1614年に養子の北条氏重が下野国(栃木県)の富田に転封されたため、廃城となったが、現在も空堀や土塁などの遺構が明瞭に残されている。[2]

構造

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主郭は、五角形の平坦地であり、現在は浅間神社が置かれている。周囲を土塁がめぐっており、東側と南側には空堀がある。東側には出入り口となる土橋が設けられている。

城域を佐倉市コミュニティバスの走る旧道が南北に貫いており、これに沿って2つの郭がある。うち南側の郭はほぼ正方形をしており、本宿の小字名があることから、城主の館跡と考えられる。

また、外郭部には「町方」のバス停があり、周囲に城下集落が広がっていたものと思われる。[1]

アクセス

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  • 佐倉市コミュニティバス南部ルート 「岩富町坂下」下車

脚注

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  1. ^ a b 千葉城郭研究会編『図説 房総の城郭』(国書刊行会、2002年)
  2. ^ 現地案内板

参考文献

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  • 千葉城郭研究会編『図説 房総の城郭』(国書刊行会、2002年)
  • 『日本城郭大系』

関連項目

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