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小林亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 亮
名前
愛称 コバリョウ
カタカナ コバヤシ リョウ
ラテン文字 KOBAYASHI Ryo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-09-12) 1982年9月12日(42歳)
出身地 埼玉県与野市 (現・さいたま市中央区)
身長 170cm
体重 69kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1998-2000 日本の旗 武南高校
2001-2004 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2007 日本の旗 柏レイソル 74 (5)
2008 日本の旗 大分トリニータ 18 (1)
2009-2014 日本の旗 モンテディオ山形 124 (1)
2015 日本の旗 ザスパクサツ群馬 34 (1)
通算 250 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小林 亮(こばやし りょう、1982年9月12日 - )は、埼玉県与野市(現・さいたま市中央区)出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にサイドバック)。元プロサッカー選手、サッカー指導者の小林慶行は実兄。妻はモデルの東麻美。

来歴

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与野西北小学校八王子中学校武南高等学校駒澤大学を経て[1]2005年柏レイソルに入団。同年4月9日にデビューし、早々と試合に出始める。本職の右サイドバックの位置には当時波戸康広がいたため、センターバックとしてプレーすることも多かった。新人らしい勢いのあるプレーを見せたものの、チームのシーズン最終順位は16位。J1・J2入れ替え戦にも敗れ、J2降格の憂き目に遭った。

2006年、監督が石崎信弘に交替し、前年度の主力メンバーが抜けた中で右サイドバックのレギュラーポジションを奪取。プレーにも自信を付け、1対1の局面での積極的な仕掛けと、ドリブル突破からのミドルシュートなど攻撃面での成長が光った。右サイドハーフを務める谷澤達也とは特に良いコンビネーションを見せ、2年目ながら48試合中44試合に出場し、チームのJ1復帰に大きく貢献した。

藏川洋平らの台頭もあり、チーム内のポジション争いが激しくなる中で、サイドハーフでプレーする機会も増えていた。

2008年は、出場機会を求め大分トリニータに期限付き移籍。その大分でも出場機会は限られたが、選手層の薄い大分にあって、豊富な運動量と複数のポジションでプレーできる小林は貴重なバックアッパーとしてチームに貢献した。

2009年は、J1初昇格のモンテディオ山形に期限付き移籍。長谷川悠と共に柏からの期限付移籍でプレーすることとなった。2011年に完全移籍。

2015年、ザスパクサツ群馬へ完全移籍[2]。シーズン終了後に現役を引退し、2016年から2019年までFC町田ゼルビアのコーチに就任した[3]。 2020年からはザスパクサツ群馬のコーチを務める[4]

エピソード

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柏時代に高齢者施設を訪問したことをきっかけに、「サッカーで福祉活動ができないか」と考え、NDスタのメインスタンド5席を購入し「コバリョウシート」として提供している[5]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 駒大 4 - - -
2005 2 J1 21 1 4 0 2 0 27 1
2006 J2 44 4 - 2 0 46 4
2007 J1 9 0 4 0 0 0 13 0
2008 大分 18 1 7 1 1 0 26 2
2009 山形 20 25 0 6 0 1 0 32 0
2010 2 16 0 0 0 4 0 20 0
2011 24 0 1 0 2 0 27 0
2012 J2 36 1 - 2 0 38 1
2013 17 0 - 0 0 17 0
2014 6 0 - 3 0 9 0
2015 群馬 33 34 1 - 0 0 34 1
通算 日本 J1 113 2 22 1 10 0 145 3
日本 J2 137 6 - 7 0 144 6
日本 - -
総通算 250 8 22 1 17 0 289 9

その他の公式戦

タイトル

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クラブ

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大分トリニータ

指導歴

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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