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小松茂藤治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小松 茂藤治
生年月日 1888年12月12日
出生地 福島県安達郡本宮町(現・本宮市
没年月日 (1981-03-01) 1981年3月1日(92歳没)
出身校 早稲田大学専門部法律科

当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日
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小松 茂藤治(こまつ もとうじ、1888年12月12日[1] - 1981年3月1日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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福島県安達郡本宮町(現・本宮市)出身[3]。生家は本宮町の大地主である[4]。1910年(明治43年)に早稲田大学専門部法律科を卒業した[2]。1914年(大正3年)には小松が建設の中心となり、本宮町に芝居小屋兼公民館の本宮座(後の本宮映画劇場)が建設された[4]

本宮町会議員、本宮町農会長、福島県会議員、福島県会議長、本宮町長などを経て[2][3]、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では翼賛政治体制協議会の推薦を得て福島1区(当時)から立候補して当選した。戦後、推薦議員のため公職追放となった[5]。1951年(昭和26年)に追放解除されたが[6]、その後は再び選挙に立候補することはなかった。

この他、調停委員や福島調停協会連合会会長を務めた[2]。1981年(昭和56年)に死去した。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、19頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』248頁
  3. ^ a b 『翼賛議員銘鑑』167頁
  4. ^ a b 本宮映画劇場・本宮市 待ち続けた『復活の時』」『福島民友新聞』2021年1月31日
  5. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
  6. ^ 『朝日新聞』1951年8月7日二面。

参考文献

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  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。