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安田桑次

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安田桑次

安田 桑次(やすだ くわじ、1897年明治30年)5月21日[1] - 1968年昭和43年)5月31日[2])は、大正から昭和期の農業経営者、実業家政治家衆議院議員岐阜県安八郡和合村長。

経歴

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岐阜県[2]安八郡和合村[3]大字津[1](現大垣市)で生まれる。1917年(大正6年)小野補修農業学校研究科を卒業[2]。1925年(大正14年)家督を相続し[4]、農業を営む[1][3][5]

和合村書記に就任[2][3]。和合村会議員、同村長、岐阜県会議員、同参事会員、同副議長などを務めた。その他、大政翼賛会岐阜県支部常務委員、同安八郡協力会議長、同翼賛壮年団長、岐阜県翼賛壮年団協力委員などを務めた[2][3][4][5]

実業界では、岐阜県蛍石鉱業会長、同県鉱業会理事、岐阜県種苗社長、東海農事社長、安田商店社長、共栄百貨店社長などを務めた[2]

1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け岐阜県第2区から出馬して当選[4][6]翼賛政治会政調厚生、商工兼務委員などを務めた[3]。戦後、日本自由党に所属し[2]、衆議院議員に1期在任[2]。その後、公職追放となった[7]

その他、大垣市農業委員会長、岐阜地方裁判所大垣支部調停委員などにも在任した[2]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、17頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』668頁。
  3. ^ a b c d e 『翼賛議員銘鑑』432頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ヤ30頁。
  5. ^ a b 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』岐阜ヤ25頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』267頁。
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿756頁。公職追放の該当事項は「翼賛安八郡協同和合村支翼壮安八郡」。
  8. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』202頁。

参考文献

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  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。