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安恵照剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 安恵照剛 八段
名前 安恵照剛
生年月日 (1941-03-22) 1941年3月22日(83歳)
プロ入り年月日 1971年4月1日(30歳)
引退年月日 2001年3月31日(60歳)
棋士番号 107
出身地 東京都世田谷区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 高柳敏夫名誉九段
弟子 小野敦生日浦市郎佐藤紳哉上野裕和瀬川晶司永瀬拓矢青嶋未来相川春香加藤桃子
段位 八段
棋士DB 安恵照剛
戦績
一般棋戦優勝回数 1回
通算成績 352勝508敗(0.4093)
竜王戦最高クラス 2組(8期)
順位戦最高クラス B級2組(7期)
2016年10月16日現在
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安恵 照剛(やすえ てるたか、1941年3月22日 - )は、将棋棋士。改名前の氏名は安恵邦男。東京都世田谷区出身。高柳敏夫名誉九段門下。棋士番号は107。2001年3月、引退。

経歴

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奨励会の旧三段リーグ(奨励会A組)を抜けるのに17期(8年半)を要し、30歳でようやく四段昇段(プロ入り)を果たした苦労人である。その間に、名を邦男から照剛に改めている。

1981年の第20期十段リーグに在籍し、1期で陥落した。

竜王戦2組には、連続で8期在籍した。

人物

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  • 子供への指導に定評があり、小学生時代に指導した林葉直子加藤桃子らがその後女流棋士になっている。

弟子

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  • 棋士になった弟子は7名、女流棋士になった弟子は2名。
名前 四段昇段日 段位、主な活躍
小野敦生 1983年12月1日 六段
日浦市郎 1984年4月4日 八段、棋戦優勝1回
佐藤紳哉 1997年10月1日 七段
上野裕和 2000年10月1日 六段
瀬川晶司 2005年11月6日 六段
永瀬拓矢 2009年10月1日 九段、叡王1期、王座4期、A級在籍4期、棋戦優勝2回
青嶋未来 2015年4月1日 六段

(2024年2月29日現在)

名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
相川春香 2013年8月17日 女流初段
加藤桃子 2019年4月1日 女流四段、清麗1期、女王4期、女流王座4期、A級在籍3期

(2023年7月3日現在)

瀬川晶司については当初の奨励会入りの際・その後のプロ入りの際とともに師匠となっている(瀬川晶司#棋歴を参照)。

昇段履歴

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主な成績

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通算成績 352勝508敗

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一般棋戦優勝

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[1]
(出典)竜王戦
出典[2]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1971 26 C213
1972 27 C213
1973 28 C216
1974 29 C115
1975 30 C103
順位戦の31-35期は回次省略・欠番
1976 36 B218
1978 37 B214
1979 38 B211
1980 39 B219
1981 40 C102
1982 41 C104
1983 42 C108
1984 43 C114
1985 44 C108
1986 45 B219
1987 46 B222 1 3組 --
1988 47 B216 2 2組 --
1989 48 C101 3 2組 --
1990 49 C117 4 2組 --
1991 50 C113 5 2組 --
1992 51 C118 6 2組 --
1993 52 C125 7 2組 --
1994 53 C202 8 2組 --
1995 54 C236 9 2組 --
1996 55 C242 10 3組 --
1997 56 C240 11 3組 --
1998 57 F編 12 4組 --
1999 58 F編 13 4組 --
2000 59 F編 14 4組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

表彰

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  • 1995年 現役勤続25年

著書

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関連項目

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外部リンク

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  1. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  2. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。