守田迺神社
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守田迺神社 | |
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所在地 | 長野県長野市高田174 |
位置 | 北緯36度38分56.5秒 東経138度12分28.1秒 / 北緯36.649028度 東経138.207806度座標: 北緯36度38分56.5秒 東経138度12分28.1秒 / 北緯36.649028度 東経138.207806度 |
主祭神 | 誉田別命(主祭神) |
社格等 | 村社・式内小社 |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 守田神社 |
例祭 | 9月23日 |
守田迺神社(もりたのじんじゃ)は、長野県長野市高田にある神社(村社)。通称は守田神社。
式内社の守田神社に比定される。
概要
[編集]長野市街地東部の住宅街、国道19号の喧騒から一本奥へ入ったところにある。
創始は不詳だが、古くは守田八幡宮と称する旧北高田村の産土神であった[1]。1756年(宝暦8年)には神職・吉田家から守田神社の名で幣帛を受けているが、1839年(天保10年)の式内社論争で「迺(廼)」を加えることとなった。
本殿は旧善光寺年神堂の建物。年神堂が神仏分離に伴い健御名方富命彦神別神社(水内大社)として善光寺境内から城山に移転するのに伴い、建物のみ当社へ移築した[2]。
鶴賀新地(旧長野遊郭)や権堂町に比較的近かったこともあり、玉垣に刻まれた寄進者は料亭や妓楼で占められている[3]。
歴史
[編集]- 1459年(長禄3年) - 近隣から現在地に遷座
- 1699年(元禄12年) - 神託に従い、善光寺年神堂から御神体を移す
- 1756年(宝暦8年) - 吉田家より守田神社として幣帛を受ける
- 1839年(天保10年) - 古間(現 信濃町)・長沼(現 長野市)の同名神社と社号論争(式内社論争)となり、当時の神主が幼かった当社は守田迺神社と改名する結果となる
- 1879年(明治12年) - 同年に健御名方富命彦神別神社(水内大社)として城山に移転した旧善光寺年神堂の社殿を、本殿として移築
- 1967年(昭和42年) - 本殿が長野市指定文化財に指定される
祭神
[編集]- 誉田別命(主祭神)
- 事代主
- 大碓命
- 久延毘古命
- 健御名方命
- 素盞嗚尊
境内
[編集]交通
[編集]脚注
[編集]- ^ おらが町の史跡・文化財 - 古牧地区住民自治協議会
- ^ 070 守田迺神社(下) 〜善光寺から移された本殿 - 週刊長野
- ^ 069 守田迺神社(上) 〜玉垣に料亭や遊郭の文字 - 週刊長野
- ^ 守田廼神社本殿 - 長野市文化財データベース
参考文献
[編集]- 『信州の文化シリーズ 寺と神社』1981年 信濃毎日新聞社
関連項目
[編集]- 健御名方富命彦神別神社 (長野市箱清水)(水内大社) - 前身は善光寺年神堂。当社の本殿は年神堂から移築したもの