奥山則男
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奥山則男 おくやま のりお | |
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生年月日 | 1926年8月29日 |
出生地 | 日本 山形県新庄市 |
没年月日 | 2016年4月29日(89歳没) |
出身校 |
東京学芸大学卒業 中央大学経済学部卒業 |
前職 | 日本経済新聞社社員 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
勲二等瑞宝章 藍綬褒章 |
第34代 東京都議会議長 | |
在任期間 | 1993年8月 - 1995年9月 |
選挙区 | 練馬区選挙区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1971年4月11日 - 2001年7月22日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1963年 - 1969年 |
奥山 則男(おくやま のりお、1926年8月29日 - 2016年4月29日)は日本の政治家。練馬区議会議員(2期)、東京都議会議員(8期)、第34代東京都議会議長を歴任した。
経歴
[編集]1926年8月29日[1][2]、山形県新庄市に生まれる[1]。東京学芸大学卒業後[1]、1950年、中央大学経済学部卒業し、日本経済新聞社に入社する[1]。営業部長を経て、1963年に練馬区議会議員に当選し、2期6年務める[1][2]。1964年、広放社を設立し、代表となる[1]。1971年4月11日の東京都議会議員補欠選挙に練馬区選挙区から立候補し、初当選する[1][2][3]。都議会では、公害首都整備委員会委員長(1974年、1975年から1976年[注釈 1])、都市計画公害委員会委員長(1976年)、予算特別委員会委員長(1983年)、東京都監察委員(1983年から1984年)、全都道府県監察委員協議会連合会会長(1983年から1984年)、都議会自民党幹事長(1985年から1986年)、議会運営委員会委員長(1985年から1986年)を歴任した[1][2]。1993年8月に第34代東京都議会議長に就任[1][2][4]。1994年からは全国都道府県議会議長会会長にも就任[1][2]。1995年9月に議長を退任[1][2][4]。2001年の選挙には立候補せず、引退[1][3]。2016年4月29日に死去[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年」に記載の表記を尊重