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太郎ヶ城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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太郎ヶ城
岐阜県
城郭構造 輪郭式平城
築城主 国枝為助
築城年 応仁文明年間
主な城主 国枝氏
廃城年 不明
遺構 なし(過去に、土塁と幅7m以上の堀検出)
指定文化財 なし
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太郎ヶ城(たろうがじょう)は、美濃国池田郡本郷(岐阜県揖斐郡池田町)にあった日本の城

概要

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応仁文明年間(1467-1486年)ごろ、安八郡(現神戸町)田村から本郷に移った国枝氏の、国枝為助が築城したとされる[1]

国枝氏は為助の後、正助、宗龍、重光、重元、重高、政森と続いたが、関ヶ原合戦石田三成率いる西軍に属して敗れた[2]

場所

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形式は「平城」で、温知小学校一帯に築かれていた[3]

発掘調査によって土塁跡と幅7メートル以上もある堀を検出したが、現在は小学校の北側の路地脇に石碑があるのみである[4]

脚注

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  1. ^ 本郷城跡 池田町史跡”. 岐阜県揖斐郡池田町. 2024年7月6日閲覧。
  2. ^ 美濃 太郎ヶ城”. 城郭放浪記. 2024年7月6日閲覧。
  3. ^ 池田・本郷城 /城跡巡り備忘録 岐阜県”. www.466-bun.com. 2024年7月6日閲覧。
  4. ^ 本郷城跡・太郎ヶ城跡発掘調査報告書”. 全国遺跡報告総覧. 2024年7月6日閲覧。