大田神社 (京都市)
大田神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 京都府京都市北区上賀茂本山340 |
位置 | 北緯35度03分35.4秒 東経135度45分30.6秒 / 北緯35.059833度 東経135.758500度座標: 北緯35度03分35.4秒 東経135度45分30.6秒 / 北緯35.059833度 東経135.758500度 |
主祭神 | 天鈿女命 |
社格等 |
式内社(小) 賀茂別雷神社境外摂社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 一間社流造檜皮葺 |
別名 | 恩多社 |
例祭 | 4月10日・11月10日[1] |
大田神社(おおたじんじゃ)は、京都府京都市北区上賀茂本山にある神社。式内社で、現在は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外摂社(第三摂社)。古くは「恩多社(おんたしゃ)」とも。
上賀茂神社の東約500メートルの地に鎮座する。
祭神
[編集]祭神は次の1柱[1]。
- 天鈿女命(あめのうずめのみこと)
賀茂における最古の神社と伝わることから、長寿の信仰がある[1]。
歴史
[編集]創建は不詳。賀茂県主(かものあがたぬし)が当地に移住する以前から先住民によって祀られたといわれるが、明らかではない[1]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国愛宕郡に「太田神社」(写本によっては「大田神社」)と記載され、式内社に列している[2]。
境内
[編集]社殿
[編集]本殿・拝殿とも寛永5年(1628年)の造替[1]。本殿は一間社流造で、屋根は檜皮葺[1]。
拝殿は「割拝殿」(わりはいでん:中央が吹き抜けて通れる拝殿)という古い形式で、屋根は本殿と同じく檜皮葺である[1]。社務記では天授3年(1377年)3月に「大田拝殿転倒す」と見えており、それ以前の造営と見られる[1]。
蛇の枕
[編集]鳥居前に架かる石橋右側下の水面から、小さな石が顔をのぞかせている。この石は「蛇の枕」または「雨石」と呼ばれ、蛇が枕にしていたと伝える。蛇は雨を降らせる生き物とされ、この蛇がいる枕のもとに行けば、雨乞いができると考えられた。儀礼は、この枕石を農具(鉄器)などで叩いて行われる。こうすることで、枕を叩かれた蛇が怒って雨を降らせるという[3]。
摂末社
[編集]- 白鬚社 - 祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと)
- 百大夫社 - 祭神:船玉神(ふなたまのかみ)
- 鎮守社 - 祭神:大国主神(おおくにぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)
- 福徳社 - 祭神:福徳神
上記4社は、いずれも上賀茂神社においても境外末社に位置づけられている[4]。
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白鬚社
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百大夫社
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鎮守社
祭事
[編集]- 御内儀祈願祭(ごないぎきがんさい)(1月10日、5月10日、9月10日)
- 春祭[5](4月10日)
- 境内に終日氏子が生け花を奉納するとともに、祈祷を行う。その祈祷時には、京都市登録無形民俗文化財の「里神楽」(チャンポン神楽)が奉納される。大田神社が寿命長久の社であることから、高齢者によって囃し舞われ、動きが少ないことが特徴とされる。「チャンポン神楽」の名は、その音色から生まれたものになる。
- 秋祭[5](11月10日)
- 日中は祈祷・神楽が受け付けられ、夕刻より火焚祭が催される。終日境内では菊花展が開かれる。
大田ノ沢のカキツバタ群落
[編集]参道の脇の「大田ノ沢」では、約2000平方メートルの敷地にカキツバタ約25,000株が自生しており、「大田ノ沢のカキツバタ群落」と呼ばれる。この大田ノ沢は平安時代からの名所とされ、尾形光琳の『燕子花(かきつばた)図』のモチーフになったとの言い伝えもある[6]。毎年5月上旬から中旬にかけての開花時に、沢一面に濃淡さまざまな紫色の花をつけ、多くの観光客の目を楽しませる[7]。
大田ノ沢は古代に深泥池と同様に沼地であったといわれ、かつて京都盆地が湖であった頃の面影を残すものであるとして、カキツバタ群落とともに、昭和14年(1939年)に国の天然記念物に指定された。
文治6年(1190年)には、『千載和歌集』の編者で著名な藤原俊成が、紫一色に染まる様子を一図な恋心に例えて次の歌を詠んでいる[8]。
神山(こうやま)や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ
歌の大意:神山(賀茂別雷命の降臨地)の近くにある大田神社のかきつばたに、深くお願いする色事は、かきつばたの色のように一途で美しく可憐なのだろうか。 — 藤原俊成
満池・干池伝説
[編集]雨乞いのとき、大田の池(大田の沢の別名)の水を入れ替えれば雨が降り、長雨のとき、神供寺の池(かつて上賀茂神社の神宮寺にあった池)の水を入れ替えれば雨が止むと伝えられていた。干珠・満珠になぞらえられ、大田の池は満池、神供寺の池は干池とよばれた[9]。
かつて、池には八大竜王が祀られ、八池[† 1]のうちの一つに数えられていた[9]。
大田の小径
[編集]境内後方には、「大田の小径」と呼ばれる全長約750mの散策路が延びる。この散策路は、平成17年(2005年)に、地域住民で構成する「上賀茂自治連合会」「上賀茂まちづくり委員会」らによって整備されたものである[10]。
神社背後の小山に、未舗装ながら整備された山道が続いている。散策路の両脇にはロープが張られているほか、途中の数か所に標識が設けられ、迷うことなく散策できる。北大路魯山人が愛したという山つつじが出迎える山道を進むと、展望箇所が設けられており、好天時には京都タワーや伏見桃山城を遠望できる。杉林を抜けて散策路を進むことで、岡本口(東側登り口、上賀茂岡本町地内)に至る[11][12]。
「大田の小径」の案内板は、大田神社側は上賀茂神社宮司、岡本口側は京都市北区長による揮毫である。
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大田神社側の登り口
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大田の小径の山道
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展望箇所からの景色
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岡本口側の登り口
文化財
[編集]国の天然記念物
[編集]- 大田ノ沢のカキツバタ群落 - 昭和14年9月7日指定[13]。
京都市登録無形民俗文化財
[編集]- 大田神社の巫女神楽 - 昭和62年5月1日登録[14]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 上賀茂神社(学生社) & 2003年, pp. 45–46.
- ^ 太田神社(式内社) & 1979年.
- ^ 『大田神社の蛇の枕』(岩石と語らう141) 京都新聞 1999年7月8日
- ^ 上賀茂神社(学生社) & 2003年, pp. 57–59.
- ^ a b 上賀茂神社 祭典・行事
- ^ 上賀茂神社 平成22年度大田神社「かきつばた」のご案内
- ^ 京都府 大田神社(京都市) 四季の見どころ 花散歩
- ^ 「五月晴れ、カキツバタ「紫」映える 北区・大田神社で見ごろ」 京都新聞 2010年5月6日
- ^ a b “京都大学デジタルアーカイブ 貴重資料画像 - 賀茂名所物語”. 京都大学附属図書館 (2002年). 2023年10月4日閲覧。
- ^ 地域活動応援ガイド 北区上賀茂学区の取組 地域の「誇り」でまちづくりを (PDF)
- ^ 京都市情報館 北区役所 わたしたちのまち北区 - 上賀茂学区だより
- ^ 北区のスポット案内 - 京都市北区 歩くマップ大田の小径
- ^ 大田ノ沢のカキツバタ群落 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 京都市指定・登録文化財-無形民俗文化財-北区(京都市ホームページ「京都市情報館」)。
参考文献
[編集]- 境内説明板
- 「大田神社」『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』平凡社、1979年。ISBN 4582490271。
- 泉谷康夫 著「太田神社」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第1巻』皇學館大学出版部、1979年。
- 建内光儀「摂末社の由緒」『上賀茂神社』学生社、2003年。ISBN 4311407203。